2016.10.21 10:50 [
山 戯言 旅]
秋晴れの下ノ廊下を歩きながらこんなことを思った。
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それにしてもよくこんなところに道を拓いたものだなぁ。
当時の職人さんたちの苦労が、ちょっと想像がつかない。
(水平歩道のむこうに見える奥鐘山西壁はオマエ登ってみろといわれれば登れちゃう(実際10回くらい登ったからね)けれど、じゃあオマエ水平歩道を作れといわれたらまったくお手上げだ)
もしかしたらというか当然というか、、、
ほんとうに現場でがんばっている人やほんとうに苦労した人って、多くを語ることもなくそして歴史のなかで名前も残ることもないんだろうな。
机上の歴史と現場の歴史の溝、それは黒部峡谷のように深い。
ひさびさに再読してみた。
「インタビュー 吉田和正」
自分とはやっていることも訪れるエリアもまるで接点がないけれど、なぜか物事に対する取り組む姿勢は共感することが多かった。
吉田和正の世界はディープすぎて、一般大衆に説明するのはあまりにも難しい。
彼のクライミング人生には、妥協という言葉がない。
何かをやるにあたって、つねにあらゆる犠牲のもとに成り立っている。
若いころからの激しいクライミングで、三十代のころから身体はすでにボロボロ。
腰を疲労骨折した状態で課題(クライミング)に挑む。
1日トライすると身体の故障ゆえに3日寝込む。
自虐的とも精神が破綻しているとも揶揄される取り組み方。
行動はスポーツだが、心は孤高のアーティストに通づるものがある。
効率や結果を重視する世の中において、こういう姿勢はむしろ否定的にとらえる人のほうが多いだろう。
でも効率や結果の一点張りでないところに、クライミングや冒険や人生のおもしろ味はあると思う。
自分としては、1つのテーマにこれほど真摯にのめり込める姿勢が羨ましくもあった。
マネはできないけれど、すこしでも近づけたら。
そして自分が厳冬カナダで凍傷などのアクシデントに見舞われるたびに、吉田和正のことを思った。
もし彼だったら凍傷で足の指が真っ黒の壊死状態になっても断念せずに精根尽き果てるまで歩きつづけるのではないだろうか。
現地で入院していた病院のベッドで、そんなことを日記に綴ったこともあった。
そうした意味では、影響を受けた部分はひじょうに大きい。
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孤高のクライマー吉田和正は、先日ガンのために亡くなった。
http://blog.livedoor.jp/hardlucktome/
2016.10.21 09:33 [
山 戯言 旅]
9月下旬から10月上旬の半月ちかく、東北の山をまわってきた。
思ったよりも歩けたかな。
危惧していたほどヒザも腰も悪化しなかった。
傍から見たらどうでもいいような身体のわずかな変化に一喜一憂しているだけかもしれないけれど、故障持ちにとって体調がさして悪くないのはやはりそれなりに嬉しい。
さて東北の山は山そのものももちろん良いけれど、地味だけれど落ち着きのある山麓をふくめて山をとりまくぜんたいが魅力的に感じる。
何度訪れても良いところだなぁ。
「語るに値することは何ひとつありませんッ!」
近況を訊かれてそう答えると、たいてい空気が凍りついて会話が途切れる。
だってオリンピックでさんざんメダルをいくつ獲得したとか話題になってるってのに、自分なりにコツコツ努力したくれえで皆の前で何々やりましたなんておこがましくないだろうか。
他人との比較がすべてではないとはいえ、客観性がなさすぎるのもどうかな。
行動の成果そのもので完結するスポーツに対して、登山や冒険はいくらでも言葉によって偽造することができてしまう。
同じ登山や冒険であっても、死ぬかと思ったと一言添えることで、とたんにグレードアップされてしまう。
いや純粋に行動で勝負するアスリートと行動で足りないところを口でちゃらまかしてしまう登山家や冒険家のすさまじいばかりのギャップをすごく感じたりしているから。
だから近況を訊かれても、ぶっきらぼうに何もしてません、って自然に口から出ちゃう。
そういうトゲトゲしいノリが一般大衆を前にふさわしくないということはわかってるんだけど。
植村直己冒険賞20周年記念、ちょっと疲れたかな。
いや、けっこう疲れた。