今夏は、おなじところに40泊以上した。
ずっと居ても、けっして飽きることはない。
自然は生きている。
繊細に刻々と変化してゆく。
2つとおなじ顔はない。
長く居るからこそ、五感はより研ぎ澄まされて自然のわずかな変化により繊細になってゆくのだろうか。
もっと長く滞在してみたら自分の感性はどう変化してゆくのだろうか。
もうすこし秋が深まるまで滞在してみるのはどうだろうか。
あるいはもっと欲張って冬がはじまるまでとか。
思いきって越冬はどうだろうか。
いまいろいろな思いが頭のなかを交錯している。
台風直撃のときの登山は避けるべき。
記録的短時間大雨のときの行動など言語道断である。
たしかにそうだ。
でも現場の生の空気に触れたうえでそうコメントしている人は、果たしてどのくらいいるのだろうか。
情報なんてしょせんは机上の空論だ。
あるいは情報とは、事実からあまりにも遠く離れてしまったもの。
だから他人の助言に耳を傾ける気がしない。
とりわけ中途ハンパな勉強や中途ハンパな経験しかないような輩の言葉は、バッサリ切り捨てたほうがうまくいったりする。
あやふやな言葉や数値に惑わされるくらいなら、直観を頼りにきめたほうがマシ。
で、現場でヤバイと思ったら、余計なことはごちゃごちゃ考えないで潔く中止すればいい。
そういえばクライミング・ジムでトークやったのはじめてだった。
これまでのトークのなかでは、まあまあうまく伝えられたような気がする。
たぶん。
なぜかというと質問とトークぜんたいを終えたあとの雑談で、どことなくポイントの伝わり具合というものがあらわれる。
うまく伝わっていないときは、まったくといっていいほど的外れなことを訊いてきたりするから。
質問の内容はしばしば理解度と一致する。
あとほかの人のトークイベントに行ったりすると、質問に見せかけていながらオレがオレがをアピールするようなオレオレ君(実績や実力は低いわりに承認要求は高い)も見かけたりする。
今回、オレオレ君の出没はなかった。
それとトークに退屈してストレッチやったり登りはじめちゃう人がいるかと思ったけれど、写真を見るかぎりいないようだ。
オイラが視聴者だったら、退屈したら迷わずに登っちゃうもんね(笑)
今回、退屈でがまんできない君もいなかった。
いずれにしても表現なんて一個人の価値基準の話にすぎないわけで、無理に押しつけるものではない。
共感したところだけを取り入れて、違和感があるところはスルーしちゃえばいい。
すくなくとも自分が視聴者のときは、トークイベントというものはバイキングでお皿に取るような感覚だととらえている。
きのうのトークのようなものでは、今冬の北東北の山旅の話をした。
おもに3月の雪崩に流されたときのこと。
*
正しい判断なんていつだって行動しない人の机上の空論に過ぎない。
あるいはやる気のない輩の口実だったりする。
バカのひとつ覚えのごとく正しい判断ばかり求めるならば、山なんか一生行かずに机上講習にでもかじりついていたほうがいい。
そんなこと言いたかったけれど、うまく伝わったかなぁ。