才能って技術とか体力とかコツコツ積みあげたすえに仕上がるものとはちがうとおもう。
そのヒトそのもの生き方そのもの、といった無意識のうちに選択していたものこそが才能なんじゃないだろうか。
気がついたらのめりこんでいた。社会から降りていたことに気づいたのは人生の晩年だった。それでも悔いはない。
そこまでくれば才能とよんでもいいのかもしれない。
冬が終ってしまったなぁ、あっという間に。
そんなせつないおもいが、つぎの冬のあらたなる旅を、つくりだしているのかもしれない。
2022.3.31 23:55 [
山 戯言 津軽]
冬がおわってしまったなぁ、あっという間に。
そんなせつないおもいが、つぎの冬のあらたなる旅を、つくりだしているのかもしれない。
今シーズンさいごとおもわれる発達する低気圧で大荒れが予測される北東北の山は、中止にした。
地震の影響で東北新幹線はダメだし、高速バスの予約センターは何度電話しても繋がらない。
今回は行かないほうがいいということなのかもしれない。
なによりもいまは趣味としての山のためよりも、緊急の用件で東北へ行く人を優先して交通機関を利用してもらったほうがいいのだろう。
欧州アルプスもヨセミテも、岩登りに見切りをつけるために行った。
そう解釈すると前後の辻褄が合う。
だから欧州アルプスもヨセミテも成果はぜんぜんなかったけれど、それでも行く必要はあった。
ひとつを見切ったとき新たなる可能性がはじまる。
誰かの新しい試みに対して、いい顔を示さないのは昔っから。
日本の社会や組織。マニュアル・バカ系クソ・ガイドや自称・山のベテランのクソ・オヤジたち。
ちょこちょこっとかじってあとはふんぞり返って余生を過ごす。
机上登山だけで人生の幕を閉じる頭でっかち。
そういう輩には、これからもずっとずっとブレずに保守的な姿勢を死ぬまで貫いてほしい。
そうした背景があることによって、冒険的行為の意義が生まれてくる。