加齢とともにここまで体力がガタ落ちするとはおもわなかった。
若いころの何かに圧されるような焦りの正体が少しずつみえてきた。
やがて体力がガタ落ちするであろうと、若いときから本能的に察していたのだろう。
保守的な傍観者の発する「焦りすぎだ」という言葉をいっさい無視してつくづくよかった。
ここ数年、海外に行きたいという欲がまるで起きない。
日本特有の冬の悪天候なら北海道を勧められても、まったくといっていいほど興味がわかない。
心と訪れる土地には微妙な時差がある。
二十代後半から三十代にかけてのカナダの雄大な山や土地は、もっともエネルギーがあったそのころの自身の心とピタリ一致した。
四十代五十代の冬の東北もまたしかり。
東北という土地は、若い時期にはなかなかその地味な魅力に気づかない。
お寺めぐりに似ている。
いろいろ経験したあとだからこそ味わえる。
きっと登る山にも訪れる土地にも「旬」というものがあるのではないか。
だから猛吹雪だから出かけるというと、すぐに「じゃあ利尻は行かないんですか」と浅い考えを押しつけられるとケリぶっこみたくなる(笑)
山岳雑誌の編集者が写真や文章を酷評するのはよくわかる。
でも山行(登攀)記録そのものを、上から目線で価値がないと切り捨てるのをみると超ムカつく。
表舞台から突き落とされるのはたしかに悲惨。
でも俺が俺がといいつつ表舞台とは無縁でちっぽけなコミュニティで人生の幕を閉じるほうがもっと悲惨だ。
30年ぶりか40年ぶりかで来た。
若いころロープなしで登っていた自分が信じられない。
やっぱり自分のやっとる山や旅が、一般大衆に受け入れられてしまったら成り立たなくなるよな。
いっぽうで自分のやっとる山や旅が、誰からも共感されなくなってもこれまた成り立たなくなるだろうな。
そんな微妙な立ち位置が好き。