学生時代の夢だった。
三十歳くらいを過ぎてそうポツリとつぶやく人は、どの分野にもいる。
でもほんとうのところはどうなのだろう。
もともとの情熱がしょせんはそこまでだったのではないか。
実力だって自身がおもうほどにはなかったのではないか。
だから学生時代の夢だったで終っちゃうのだろう。
ああすればよかった、こうすればよかった。
そう嘆く人は多い。
何年か前にあるいは何十年か前に、「今やりたい」けれどやらずに終ってしまった。
踏み込めなかった原因は、やっぱり失敗したらどうしようというプライドだったのか。
そんなふうにあれこれ考えながら歩くことが、ここ最近すごくおもしろい。
夏の縦走って、トレイル・ランナーによって従来ならあり得ないスピード記録がうちたてられている。
残雪季の縦走も、山岳スキー競技選手によって驚異的なスピード記録がつくられとる。
登山の表舞台において、山屋の出番がどんどんなくなりつつある(笑)
厳冬季の長期の縦走ではまだまだアスリートより山屋が活躍しとるけれど、そのうち千日回峰達成者がとてつもない記録を打ち立てる可能性はじゅうぶんに考えられる。
登山の可能性をひろげるヒントって、登山以外のところにたくさんころがっていたりする。
山や旅に思い入れの深いオ自分の本棚が、山や旅と関連のうすい本で埋っている理由もそんなところにあるのかもしれない。
加齢とともにここまで体力がガタ落ちするとはおもわなかった。
若いころの何かに圧されるような焦りの正体が少しずつみえてきた。
やがて体力がガタ落ちするであろうと、若いときから本能的に察していたのだろう。
保守的な傍観者の発する「焦りすぎだ」という言葉をいっさい無視してつくづくよかった。
ここ数年、海外に行きたいという欲がまるで起きない。
日本特有の冬の悪天候なら北海道を勧められても、まったくといっていいほど興味がわかない。
心と訪れる土地には微妙な時差がある。
二十代後半から三十代にかけてのカナダの雄大な山や土地は、もっともエネルギーがあったそのころの自身の心とピタリ一致した。
四十代五十代の冬の東北もまたしかり。
東北という土地は、若い時期にはなかなかその地味な魅力に気づかない。
お寺めぐりに似ている。
いろいろ経験したあとだからこそ味わえる。
きっと登る山にも訪れる土地にも「旬」というものがあるのではないか。
だから猛吹雪だから出かけるというと、すぐに「じゃあ利尻は行かないんですか」と浅い考えを押しつけられるとケリぶっこみたくなる(笑)
山岳雑誌の編集者が写真や文章を酷評するのはよくわかる。
でも山行(登攀)記録そのものを、上から目線で価値がないと切り捨てるのをみると超ムカつく。