昨夜読んだ本。
『人類初の南極越冬船 ベルジカ号の記録』(ジュリアン・サンクトン著)
19世紀のおわり、南極探検に向った船が氷に閉じ込めらて極夜を過ごした話。
(南極点も北極点も到達される前)
メモしたこと以下。
・想像していたほど壮絶ではなかった。隊員の大半が気が狂って半数以上が死んだのかとおもいきや、ほとんどが生還している(もちろん犠牲者はいる)。
→越冬できるだけの食糧、燃料があったこと。船という住処が確保されていること。衣食住がひとまず足りていると、危機感は大幅に軽減される。というのはオイラの経験でもじっさいにあった。
・危機に瀕してもマスコミ受けを意識している。
→出資者あってこそ成り立つ当時の探検。一般大衆の目を意識するのは当然の帰結。いまの時代の個人の趣味の探検とは背景が異なる。
・生還した隊員のその後がおもしろい。ある隊員はこの体験を生かしてのちに南極点到達を果たす。べつの隊員は怪しげなビジネス(?)で詐欺罪で起訴されて刑務所に入る。
→かたや成功者、こなた転落人生、という単純なはなしともちがう気がする。夢の実現と人を騙すことって、どこか水面下で繋がっていないか。大胆さと人を動かす力、そして斬新なアイデア。この極地探検家と詐欺師コンビは、船が氷に閉じ込められて多くの隊員が意気消沈しているなかでもっとも意欲的に解決策を生み出して脱出成功に導いている。
学生時代の夢だった。
三十歳くらいを過ぎてそうポツリとつぶやく人は、どの分野にもいる。
でもほんとうのところはどうなのだろう。
もともとの情熱がしょせんはそこまでだったのではないか。
実力だって自身がおもうほどにはなかったのではないか。
だから学生時代の夢だったで終っちゃうのだろう。
昨夜読んだ本。
『剱沢幻視行 山恋いの記』(和田城志著)
(何度めかの再読)
この著者は、冬の黒部横断を若いときから約五十歳まで30回行っている。
剱岳・八ツ峰北面の雪稜や剱沢大滝など、隔絶されたエリアにおける難度の高い登攀をも組み込んでいる。
二十代三十代で力のかぎり登ろうぜと語る人はいるけれど、多くは四十歳くらいから急におとなしくなっちゃう。
30年ちかくにわたり毎冬黒部横断を実践する人、もしかしたらもうあらわれないかもしれない。
オイラ個人の体験からすると、冬の長い縦走ってどうがんばっても三十代半ばが限界だった。
昨夜読んだ本。
『酒を主食とする人々 エチオピアの科学的秘境を旅する』(高野秀行著)
旅のアクシデントやハプニングは、できることなら起きてほしくないけれど起きないとこれまた物足りなさをかんじてしまう。
この著者の旅は、今回にかぎらずアクシデントやハプニングが多い。
成田空港カウンターで、ヴィザなしではご搭乗いただけません、からこの本ははじまる。
ようやく現地に着いて取材開始するも、こんどはヤラセに巻き込まれそうになる。
よりによってヤラセ前科一犯のクレイジージャーニー。
なんと今回はクレイジージャーニー側がヤラセにひっ掛かった。
ちなみにオイラもクレイジージャーニーで猛吹雪の八甲田山へ行ったものの、アクシデントもハプニングも起こらず視聴者を楽しませることができなかった。
ホワイトアウトでディレクターともカメラマンとも離ればなれになって、オイラが行方不明になり雪解けとともに遺体で発見されたら視聴率に貢献できたかもしれない。
そのときのカメラマンは昨年K2西壁にトライしたまま生還せず。ある意味でホンマモンのクレイジージャーニー。
さて、この本は酒を主食に暮らすアフリカのエチオピア南部の民族のはなしである。
そんなん、あり得るのか!?
もちろん副食は食べるが、酒が主食で身体がだいじょうびなんか。
彼ら酒主食族は日常的に、脂、砂糖、塩をほとんど摂取しないことが今回の調査でわかった。
部分的には、ひじょうに健康的。
また酒主食族の体型をみるかぎり、がっちり型が多く健康を害しているとは考えにくい。
「彼らは科学がまだ達していない『未知』の領域にいるのだ」(本文より)
地理的秘境はもはやなくなったといわれるけれど、科学的秘境はまだあるのではないか。
ヤマケイやピークスを熟読して栄養バランスやカロリーをことこまかに計算しても、山に入るとすぐバテる人をたくさん見てきた。
日本酒を飲んだくれてわずかなツマミだけで、信じられないスピードで冬壁を登る酔いどれクライマーもいる。
このあたりもまだ科学的に解明されていない。
ああすればよかった、こうすればよかった。
そう嘆く人は多い。
何年か前にあるいは何十年か前に、「今やりたい」けれどやらずに終ってしまった。
踏み込めなかった原因は、やっぱり失敗したらどうしようというプライドだったのか。
そんなふうにあれこれ考えながら歩くことが、ここ最近すごくおもしろい。
きのう読んだ本。
『登頂八〇〇〇メートル 明治大学山岳部十四座完登の軌跡』(谷山宏典著)
1970年植村直己のエベレスト登頂から2003年アンナプルナ1峰南壁登攀まで、八千メートル峰14座の記録。
かんじたこと以下。
・明大山岳部といえばはじめっからニンゲン離れした強い人ばかりかとおもいきや、そうともかぎらない。遠征を二回三回と積み重ねてサミッターになってゆく。もちろんはじめっから強い人もいる。
・努力が結果にむすびついている。その理由に、日本の雪山でしっかりと厳しい山行を実践していること。そして明確に目標を設定していることにあるのではないか。なお世の中は努力を標榜するだけで万年初心者のまま人生の幕を閉じる人が圧倒的多数である。
・この人毎年遠征しているけれど日本での生活はどうなっているのかと疑問におもうことは多い。隊員それぞれの背景も取材している。会社を辞めざるを得ない場面も出てくるものの、明大山岳部の人は概して社会性が高そうだ。登れることは登れるけれど一般常識が著しく欠如している一部のクライマーとはちがう。
・しっかりした組織の明大山岳部と組織に属さないオイラでは接点がないようにおもわれがちだけれど、担げるだけ担いでラッセルして長期の停滞をこなしてと山行スタイルはきわめてちかい。
「登れなかった登山は、登れなかった者の捉え方によっては、決して無駄にならない。むしろ、新たな登山の志向を見出したり、自分を大きく成長させるきっかけになる」(本文より)