朝の森。
ここ数年、鳥のさえずりを聞きながらゆっくり歩くだけで満たされるようになってきている。
(きのう撮った写真)
話してみないとわからないよ。
そうよくいわれる。
でもヘタに経験していたりヘタにお勉強ごっこしていたりしている人ほど、話してもまったくといっていいほど通じなかったりする。
凝り固まっているからなのか。
なぜ話が通じないのか分析するのは、けっこうおもしろい。
これまでの人生をふりかえって。
もうすこし粘ったらできたかもしれないってあんまりない。
それより、もっとはやく見切りをつければよかったなっていうほうが多い。
夜の桜を観ながらそんなことをおもった。
昨夜読んだ本。
『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(柏澄子著)
まずオイラがかろうじて山に行っていたのは昭和の終わりの2シーズンくらい。
平成の時代の山のはなしは、雑誌かSNSくらいでしかわからない。
面識があっても挨拶くらい。
だから自分にとって平成の登山はあくまで傍観者。
かんじたこといろいろ。
昭和の登れる女性クライマーはほぼ身なりに無頓着だったけれど、平成になると身なりに無頓着な登れる女性クライマーが激減した。
昭和のころ「男についてこれない女は山に行く資格なし」と凝り固まった考えの男が、平成になると激減した。
昭和の時代は登山関連のコミュニティが閉鎖的だったけれど、平成になると風通しがよくなった。
ただ風通しがよくなった弊害として、山の世界には場違いではないかとも思われる人たちがそれなりに紛れ込んでしまった。
女性が変化したのか全体が変化したのか。
平成を読むことで昭和が見えてきた。
この本を読みながら、オイラは山の世界からすっかり遠く離れてしまったなってあらためておもった。
ちなみに昭和の時代、この表紙のようなカラフルなウェアはなかった。
昨夜、読んだ本。
『紛争地で「働く」私の生き方』(永井陽右著)
舞台は、ソマリア。
長期の紛争や大飢饉で世界でもっとも危険な場所。
仕事は、テロ(イスラム系暴力的過激主義)組織から投降を引き出し社会復帰に向けてケアしていくこと。
「お前を殺してやる」とテロ組織からの頻繁な脅迫。
遺書も準備している。
いつ死んでもおかしくない。
この本を読んでいると「いったいなぜ、そこまで。マジで、あなたの命ヤバいですよ」と喉元まで出かかる。
もちろん著者にとってはそんなの余計なおせっかいなんだろうけれど、、
さて暴力的過激主義組織が絡む紛争についての解決方法の答えはない。
学生時代よりソマリア問題に取り組みはじめるも、多くの専門家は「ソマリアだけはヤバすぎるからやめとけ」と否定的。
しかしこの著者は誰もやらないからこそ取り組む意義を見いだす。
頭でっかちの保守的なオトナに見切りをつけて、ひとりで仲間を募りはじめの一歩を踏み出す。
この著者にとって「できること」ではなく「やるべきこと」が判断基準だ。
社会問題のみならず、あらゆる分野でこれから何かをはじめようとする人にとってヒントになる言葉が散りばめられている。
受け身型のところがない。
世の中、ほんとうにこれがやりたいなんていう人っていくらもいないんだろうな。
ほんとうにやりたいことがある人って、恵まれていなくても実行する。