昨夜のThe Tribeでのトークイベント「長期間&長距離 登山家列伝 第7回目 厳冬期アラスカ登山家 栗秋正寿」だよ。
気温マイナス60℃、最大瞬間風速100mの厳冬季にマッキンリーとその周辺の山にひとり淡々と20年通いつづけた。
マイナス40°Cのなかテントで18日間停滞、雪洞で16日間晴天待ち、悪天候で26日間のフライト待ち。
速く登れる登山家はたくさんいる。寒さに強い冒険家もそれなりにいる。でも長時間待機できる登山家って、栗秋さんのほかにいない。
のほほ〜んとした栗秋さん、厳冬のアラスカの山に2カ月入っていても下山時に体重が変わらない。
攻めるだけが、我慢するだけが、成功への秘訣ではないのだろう。
ヘタに闘わないことで、うまく闘っている。
今シリーズではじめて御本人を招いたよ。
昨夜のThe Tribeでのトークイベント「長期間&長距離 登山家列伝 第4回目 冬季黒部横断30回・剱の怪人 和田城志」だよ。
和田城志の第一線で活躍していた期間は長い。学生時代から四十代後半まで雪の剱岳や黒部、ヒマラヤの登攀を実践。五十代、六十代は長期(1〜3カ月)の歩き旅、七十代はヨット旅。
十代、二十代で「力のかぎり登ろうぜっ!」と熱く語る人はすくなくないけれど、5年、10年すると「オトナになりなよ、、」に変ってしまう。あらためて和田城志の持つエネルギーをかんじた。
また雪の剱・黒部の登攀史を編纂した実績もひじょうに大きい。先人の足跡があってこそ、現在の先鋭的なクライミングはある。
今回の告知文や雪の剱・黒部の記録整理の一部は、暖房の効いた図書館などではふさわしくないとおもい今季最強の寒波がやってきた青森のドカ雪のなかテントを張ってやった。
【和田城志(わだ せいし)|1949年(昭和24年)、高知県香南市生まれ】
豊かな自然につつまれた南国土佐で育つ。少年時代より海辺で野宿や焚き火をして過ごす。高校時代、四国の三嶺で初めての雪山を経験。大学山岳部で本格的登山をはじめる。大阪市立大学工学部応用物理学科中退。
冬の黒部横断、トライ30回、成功15回。主な記録に83年鹿島槍〜十字峡〜剱沢大滝(積雪季第2登)〜剱岳八ツ峰北面滝ノ稜(積雪季初登)、93年鹿島槍〜十字峡〜黒部別山トサカ尾根東北支稜(積雪季初登)〜剱岳八ツ峰北面菱ノ稜(積雪季初登)。
78年ランタン・リルン(7245m)南東面(初登)、84年カンチェンジュンガ(初縦走)、85年マッシャブルム(7821m)北西壁(初登)。ナンガ・パルバット(8125m)、トライ3回。
五十代半ばよりヨット旅や長期の歩き旅をはじめる。2012年と13年には合計5カ月間、徒歩によるネパール全山群東から西まで横断。近年はヨットで北前船航路を辿る。野宿しながら昭和のかおり残る飲み屋をめぐる自転車旅も好き。
著書に『剱沢幻視行 山恋いの記』(東京新聞刊)。大阪市立大学山岳会、サンナビキ同人。
昨夜のThe Tribeでのトークイベント「長期間&長距離 登山家列伝 第3回目 冬季ジャブジャブ水中遡行と超長距離沢継続・溝江朝臣」だよ。
フリークライミングが流行りだした80年代、南アルプスを舞台にひとり黙々と沢に通いつづけたフルタイム沢屋の話。ひと夏を費やして沢から沢への壮大な継続や腰まで水に浸かりながらの冬の遡行を実践。
南アルプス南部の沢は上流部こそ完全凍結のアイスだが、下流部中流部は水のなかをジャブジャブ歩く。冬にウェットスーツを担いでの沢登りは、一時期話題になった。また1〜2カ月間におよぶ沢から沢への継続は、溝江朝臣のほかに見られない。
溝江朝臣ワールドにわずかでも迫ろうと、年が明けてから早朝の寒い時間帯の丹沢の沢で何度か水に浸かってみた。大寒寒波襲来の越後にも出かけて、大雪のなか川に入ってみた。
楽しいとはおもわなかった。
ただ溝江朝臣が寒いとかヤバいとかんじるラインが、凡人のオイラなんかより遥かに上にあるのだということがわかった。
あと参加者の方のなかに現役時代の溝江朝臣を知る方がいて、当時の貴重な話を聞くことができたよ。
【溝江朝臣(みぞえ あさひと)|1941年1月1日、東京都世田谷区生まれ】
十代より未知の旅に憧れる。中学1年で、先生と行った丹沢・表尾根で登山にめざめる。玉川大学農学部卒。教員や研究職を経て、33歳でドロップアウト。以後、晴山雨読。四季を通じて南アルプス全域の沢に足跡をのこす。
主な記録に、79年赤石沢冬季単独初遡行。84年北岳バットレス〜滝ノ沢〜黄蓮谷の冬季・岩と沢の継続。84年甲斐駒ガ岳の前衛峰より光岳以南まで55日間、41沢を継続する。五十代以降は丹沢の沢にも取り組む。生涯2500本の沢を遡行。山岳部や山岳会には属さず、技術は独学。大部分が単独行。あんぱんが好き。
共著に『日本登山大系 南アルプス』(白水社刊)。「山と溪谷」「岳人」「山と仲間」「渓流」などに記録発表多数。
昨夜のThe Tribeでのトークイベント「長期間&長距離 登山家列伝 第2回目 雑食型登山家・細貝栄」だよ。
高校時代に睡魔、幻覚、空腹と闘いながら「眠らずに何キロ歩けるか」を皮切りに、オールラウンドという言葉では括りきれない雑多なジャンルの登山を集中的に実践。型にハマらぬ行動力と自己探究心。千日回峰行など修行僧との共通点についても考察してみた。
なおタイトルの雑食型登山家の二つの意味は、、
一つは食べ物の雑食。細貝栄はなんでも食べる。ヤブ山縦走では、サンショウウオ、ウド、タラの芽、ユリの球根。冬の知床の海岸ではウニをたらふく食べる。冬の日高山脈では、行動食にアルファ米をそのまま食べる。停滞日は、即席ラーメンを生のままかじる。また「旅先であなたの忘れられない食べ物のアンケート」に、猿の糞煮、虎の肉、ハイマツの実、とある。(『地平線の旅人たち』(窓社)より)
もう一つは細貝栄の守備範囲のひろさ。不眠歩行、継続登攀、冬のルンゼ登攀、長期縦走、藪漕ぎ縦走、ヒマラヤの登攀、雨季のネパールトレッキング、ヒマラヤの山麓で水道設置工事や雪男さがし、ミャンマーでの焼畑農業調査、断食縦走。
あと今回のイベントで心残りだったことがひとつある。資料整理は暖かい図書館などではなく凍ったテントでやりたかったが、諸事情からできなかった。
【細貝栄(ほそがい さかえ)|1950年、茨城県生まれ】
東京都立大学に入学後、独学で本格的に登山をはじめる。冬の谷川岳一ノ倉沢における一連のルンゼ登攀。那須〜浅間山の藪漕ぎ縦走では、ⅠからⅥまで藪にグレードをつけた。冬の日高山脈や天塩山地や知床半島、南アルプスでノン・デポ、ノン・サポートによる長期縦走。タムセルク南西壁登攀、ヒマラヤ山麓で雪男さがしや水道設置工事、雨季のネパールや解禁直後のガンゴトリ山群のトレッキング、ミャンマー東部における山岳民族調査。そして断食による長期縦走を実践。
共著に『地誌学を考える』(中村和郎、岩田修二編)。あるくみるきく 147号「限りなき山行」、164号「ひとりぼっちの知床」
昨夜読んだ本。
『沙漠人間砂漠』(奥村大海著)
何をめざしているのかわかりにくい旅だ。
GPS、地図、コンパスなしで厳冬のゴビ砂漠を歩く。
(最低気温マイナス30度C)
移動するには何とも効率のわるいスタイルをあえて選択する。
でもおもしろそうやないか。
思いどおりにすすまない日って、濃厚な記憶がのこったりする。
旅ものにはたいてい載っている地図が、この本にないのもええやないか。
昨夜はクライミングギャラリーThe Tribeにて「冒険とは、旅とはⅢ」(荻田泰永×田中幹也)のイベント。
冬のカナダの旅がメインなのだけれど、自分の場合はどうしてもクライミングから旅へ移行の話をしないと繋がらない。
クライミングは楽しかった。一緒に登った人も個性豊かでおもしろかった。
でも、自分にはクライミングとはちがった別の世界があるのではないかという違和感がついてまわった。
クライミングから旅への移行は、いまだにうまく整理できていない。
この先も自身に問いかけていきたい。
これからも何をめざしているのかわからない旅をつづけていきたい。
クライミングの世界でかんじたいいようのない閉塞感は、旅の世界ではあまりない。
要所で、舞台が岩壁登攀や自転車旅や大雪原の冒険なのに夜のバンコクやタイの女にハマる話を盛り込まざるを得なかった(固人名は出さなかったよ(笑))
なお荻田さんは、2011年冬から初夏にかけて角幡唯介と歩いたカナダ北東部のレゾリュート〜ジョアヘブン〜ベイカーレイク、1600km、103日間。
話がまとまっていてうまい。
なぜそこを歩いたのか、そしてそのルート周辺をとりまく19世紀の北西航路の航海の話が盛り込まれていてひじょうに興味深かった。
ふたりとも氷の上を歩きながら、荻田さんには荻田さんの世界が、自分には自分の世界がある。
(画像のカナダ地図の線は、自分の旅の軌跡)