『フリーソロ』の映画評のようなものを書いた。
文章のさいごのほう、反論がくるかな(笑)
でも現場で何度も見た事実。
自分はプロのライターでもないから必要以上に自分と読者のバランスを考える必要もない。
それにしても、「田中幹也のちくり一言」ってタイトル、、、(笑)(笑)
夫婦で歩いてカナダ横断。
児玉文暁さん、児玉あゆみさん。
3年がかりで、西から東へ、距離6000キロ。
具体的にどんな旅なのかは、台風で暇してる今夜にでもブログを3年ぶんぜんぶ読んでみよー。
まだ会ったことないけど、文章から人柄が伝わってくる。
とにかくこだわりがない。
ふつう大きなことやる人ってときに必要以上に極端なこだわりが支えになっていたりする。
できたかできないか、と。
マイペースでのほほーんと歩いて成し遂げてしまうところが超越しとる。
もっとも当人たちに成し遂げたという意識はうすい。
でもカナダに暮らす人と街と自然に触れあってサイコーに楽しんでいる。
旅モノ、とりわけ徒歩や自転車やバイク旅って、ときに「やったやった、俺が俺が」と辟易する話がすくなくない。
きっとカナダを歩いたという壮大な記憶も自分たちのなかで静かに整理していくのだろう。
もしかしたら人生をふり返ったときに、できたかできなかったかなんてそう大きな問題ではないのかもしれない。
◼児玉文暁さんのブログ
https://ameblo.jp/kfumi/entry-12533831528.html
◼児玉あゆみさんのブログ
https://ayumiaruki.exblog.jp
先週くらいに読み終えた本。
『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』(三浦英之著)
アフリカゾウが絶滅に追い込まれている。
そう聞いてもたいていの人たちは、日本から遠いアフリカのできごとじゃないかと聞き流すだろう。
自分でも、関係ねえ、動物学者が対処すればいい、くらいにしか思わなかった。
この本は、アフリカゾウの密猟とその背景を追ったルポ。
密猟の目的は、象牙だ。
アフリカでは金さえ積めば罪は罪でなくなる。
輸出には中国人マフィアが絡んでいる。
このあたりまではなんとなく予測がついた。
読みすすめるうちにわかったのは、日本が象牙の消費国だということ。
日本に暮らしていてアフリカゾウなんて無縁でも、象牙の印鑑といえば誰もが比較的身近なものだろう。
そもそも日本が象牙の印鑑を高級品としてもてはやさなければ、中国人マフィアもビジネスにはならないし、アフリカゾウもここまで激減することもなかった。
という話である。
そんなの遠く離れた場所で起きてることじゃないか。そんなことより足元をちゃんと見ろよ。
そうよく言われたりする。
遠く離れた場所でのできごとだと思い込んでいてじつは自分でもその問題に加担しとるのに気づいてないだけだったことが、もしかしたらほかにもたくさんあるのかもしれない。
最近の登山者もガイドもどうしてレインウェアの防水機能やテントの耐風性とかに、ぐだぐだぐだぐだぐだクソうるせえんだよッ!
どうせ大雨だったり台風だったりすれば、すぐに山降りちまうんだからぜんぜん関係ねえじゃんかよッ!!
記事を書いた。
「ひとりで歩く山7選」
包容力にも似た山のやさしさとつねに死のリスクを内包している山のシビアさ。
そうした山への思いを立山周辺に点在するボルダー散策に絡めて書いてみたよ。
↑なんだかよくわからないでしょ(笑)
◆
詳細はこちら。
↓クリックすれば読めちゃう(笑)
https://www.gakujin.jp/menu105/
『アート・オブ・フリーダム 稀代のクライマー、ヴォイテク・クルティカの登攀と人生』(恩田真砂美・訳)
クルティカといえば、、、
チャンガバン南壁、ダウラギリ東壁、ガッシャブルム4峰西壁、トランゴ・タワー東壁、チョ・オユー南西壁、シシャパンマ南西壁、フリークライミング5.13のフリーソロ、、、
数々の世界最難ともいえる登攀を成功させていながらも、こんな言葉を残している。
「実は自分は弱かったのです」(1995年ナンガ・パルバットのマゼノ・リッジの試登にて)
いったいどれだけ高い意識やねん。
ほかの登山者やクライマーはどうなっちまうんやねん。
クルティカの行為は登山というよりも哲学といったほうがしっくりくる。
たとえ誰からも称賛されなくても、自身の哲学にもとづいて「苦しみの芸術」を追求する。
クルティカの軌跡をみると「完成」という言葉すら陳腐におもえてくる。
ところでクルティカとは対極の大衆を意識した伝えることを前提にした登山や冒険には価値がないのだろうか。
そんなことはない。
そもそもクルティカの求道者的な行為と大衆を意識した伝えることを前提にした登山や冒険とでは役割がまるでちがう。
物理学を例にするならば、研究に没頭する学者と人気の予備校講師みたいなもの。
ともに必要とする人たちがいる。
だいたい世の中がクルティカみたいな人ばかりになってしまったら社会が成り立たなくなるぜよ(笑)
誰もがクルティカのような高貴な登攀をめざす必要もないし、めざしたところでその人が納得できる登攀や人生が送れるとも思えない。
どんな道にすすむにしても周りがなんて言おうが事情に通じている人がなんて言おうが頭脳明晰な人がなんて言おうが、自分を貫けばいい。
クルティカの生きざまを通してそんなことをおもった。