昨夜読んだ本。
『日航123便 墜落の新事実』(青山透子著)
1985年夏の御巣鷹山の日航機墜落の真相を追ったノンフィクション。
多くの資料や証言をもとに隠された事実をつぎからつぎへとあばいてゆく。
じつは事故ではなく事件であった。
(その事故(事件?)が何であったかはこの本に詳しく書かれている)
一般的に流れている情報と事実との激しい食い違いは、なにもこの事故にかぎった話ではないだろう。
自分のなかでは日航機墜落の新事実云々よりも、なぜ情報と事実との食い違いか生じてしまうのかに興味が移った。
多くの人たちはメディア側の不勉強だと責任転換してしまうけれど、むしろメディア側の流す情報を安易に鵜呑みにしてしまう一般大衆こそが誤った情報をより拡散させているのではないだろうか。
情報を受けとるときにはつねにそういうことを意識したい。
この本の狙いとはぜんぜんちがうことを綴ってしまったけれど、この本を読みながらそんなことを思った。
社会ってたくさんの膜によって覆われているのかな。
昨夜、読んだ本。
『努力不要論』(中野信子著)
そーだそーだ、読みながらイイネを100回つけたい気分になる。
じっさい努力地道勉強と声高にわめく輩ほど実績にとぼしい。
ぜんぶの人がそういうわけじゃないけど。
努力という魔のコトバに酔ってしまい、時間さえかければいつか誰かが認めてくれると勘違いしてしまっている。
もちろんそれで成果にたどり着く人もいるだろうけれど、それは犠牲を犠牲と思わず身体壊そうが何しようがかまわないというきわめてかぎられた覚悟のきまった人だろう。
大ざっぱにいってしまえば、たいていの努力はムダ。
それよりも自分が楽しいと思えること見つけたほうがいい。
好きこそ才能。
たとえ成果に結びつかなくても、すくなくともムダだったとは思わないはずだ。
かぎりある人生、やりたいことやらなきゃ損だ。
この本でもっとも印象的だった一文。
「もともとの能力が低く、しかし努力に努力を重ねてのし上がってきたという人は他人の才能を見抜いて潰しにかかってくる傾向が強い」
自分のまわりにもパッと何人か思い浮かぶ(笑)
書評を書いた。
『洞窟ばか』(吉田勝次著)
洞窟といえば陰鬱な印象が強いけれど、この本は著者の豪放磊落(たぶん?)なキャラともあいまってとにかく明るい。
じっさいに洞窟に行くのはちょっとと躊躇する人でも、この本は読み物として楽しめるとおもう。

昨夜読んだ本。
(十代のときに何度も読み返した。たぶん30年ぶりくらいの再読)
『十六の墓標 炎と死の青春』(永田洋子著)
極左テロリストの獄中手記。
革命という理想のために銀行強盗、猟銃強奪、そして同志殺害。
その是非はともかく、、、
すごい潔く行動しちゃうんだなというのが、いちばんはじめに読んだときの感想だった。
自分が十代というオトナ(口先だけで実行しない人種)がもっとも信用できない年代だったからだろうか。
だってたいていの人たちは飲んだ席では理想を掲げて熱く語っても、いざ実行となるとできない理由を並べているだけだったから。
物事に真剣に取り組んだら最後は精神が破綻するか人を殺めるか自死するかになっちゃうのかなとも思った。
自分にはそこまでできないな、とも思った。
そして十代のときの読後感は、30年経ったいまもあまり変わってなかった。
ちなみに自分は革命を支持しているわけでも人殺しを肯定しているわけでもこの著者の行動が正しいといっているわけでもない。
あくまでも妥協を許さない姿勢においてスゴイなという意味だ。

昨夜読んだ本。
『シリア 戦場からの声 内戦2012‐2015』(桜木武史著)
中東問題もシリア情勢もわからないけれど、最近自分のまわりの一部で話題になってたので手にとってみた。
銃撃戦のなかに身を置いて、現地で親しくなった友が目の前で撃ち殺されてゆく。
ずいぶん文章が淡々としているなぁ。
自分のなかで戦争といえば映画でしか知らなかったからそう感じたのか。
でも戦場という殺すか殺されるかリアルの世界に、演出もヤラセもドラマもない。
話は飛ぶけど、前に聞いたこんな話を思い出した。
戦争の話をやたら熱く語る人は、たいていたいした体験をしていない。
ほんとうに怖い世界を見た人は、そうそう他人に話せるものじゃない。
ほんとうに恐怖を体感した人は、精神は破綻してしまう。
あるいはすでにこの世にはいない。
戦場という生の現場で起きていることは、しょせん一般大衆がイメージするには限界があるように思う。