きのう読んだ(読み終えた)本。 『アローン・オン・ザ・ウォール』(アレックス・オノルド著) 究極のフリーソロ(ロープなしで登る。堕ちたら死ぬ)クライマーの軌跡。 読めば読むほど、凹むし激しい劣等感につつまれる。 だってこの著者のやってること、どう考えてもマネできない。 反復練習をくり返してコツコツやれば、大器晩成という言葉があるという人もいるかもしれない。 でもそういっている人って、時間とお金さえかければ誰でも到達可能な狭い世界しか知らなかったりする。 他人は他人、自分は自分、っていう人もいるかもしれない。 でもそういっている人って、自分のまわりに突出した優秀な人が居らず毒にも薬にもならない輩に囲まれているだけだったりする。 「オメーがやってんのなんか、クライミングでも何でもねえ。そんなの岩に触れたうちにも入らねえ! すこしは頭を冷やせ!!」 ページをめくるごとに、自分がそう罵倒されてるようだ。 仕方ないよな。 柔軟性をはじめとした身体能力、恐怖の克服の仕方、まわりが何といおうが突き進めるモチベーション、、、 どれをとっても、自分がやってることなんてしょせんはそのていどにすぎないのだから。 自分にはクライミングの才能が皆無だと二十歳のころに悟ったけど、この本を読んであらためて才能のなさが決定的なものになった。 まあ人生において「気づき」はたいせつだ。 自分には手が届かないと現実を受け入れることによって、こんどはちがう可能性の扉がひらくということだってあるのだからね。 ただ、、、 過ぎてしまった過去に対して、もし何々だったらできたかもしれない、というのはあり得ないことだし言ってもいけないことである。 それでもあえて問うてみたい。 もしクライミングの才能のなさに気づくのにもうすこし遅かったら、もしかしたら行動半径ももうすこしひろがっていたような気がする。 気づかないというのも、ある種の才能なのかな、、、