きのうは住環境関連のところでトーク。
自分とはおよそ接点のないジャンルだ。
住環境に関する知識なんてこれっぽっちもない。
だからあえて住環境云々にからめた話をせずに、これまでやってきたことを淡々と話してみた。
いつものように自分にとって旅とは冒険とは云々といった結論も強いて出さなかった。
きょうの話の視点から、何らかの発想を生み出すきっかけになってもらえればいいかなと思った。
余談になるけど、、、
これまで自分が何かあたらしいことをはじめるときにヒントになったのは、なぜか自分がそれまで接点がないジャンルの本や話だったりした。
自然環境云々に関心はないのかともたまに訊かれる。
そもそも自然環境のためを思ったら、登山も冒険も旅もしないほうがいいのかもしれない。
先進国の人たちが日常生活を営んでいるだけで、自然環境には膨大なダメージを与えている。
登山や冒険や旅をするということは、日常生活以上にモノもエネルギーも消費する。
それでも登山や冒険や旅で自然に触れることによって、自然環境というものを頭のなかだけでなく実感としてとらえて考えるきっかけになったりするのはたしかだ。
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この焚き火の写真は、厳冬カナダ中央平原で撮ったもの。
同じカナダでも国立公園内では、立ち木を切ることは言語道断だし焚き火に関しても大きく制限されている。
このカナダ中央平原では、そのような制限はない。
立ち木を伐り出して焚き火をする。
広大な土地にわずかな人が住んでいるので、自然環境へのストレスが少ない。
先住民たちは暮らすのに必要以上の消費をしない。
なによりも自然環境云々などど頭でっかちなきれいごといってたら、この地ではすぐに凍死してしまう。
2016.3.12 10:41 [
冒険 山 津軽]
津軽の山の頂に、4日間で2つ立ってきた。
(冬の時季はあれだけ時間費やしながらほぼ毎回敗退)
もうかんぜんに春の雪質。
厳冬のうんざりするようなラッセルもいまはない。
後半はホワイトアウトで視界こそなかったけれど、雪質の良さのおかげで夏よりも遥かに速いスピードで走るように登って降りてくることができた。
今回は絶妙のタイミングに行ったこともあるけど、冬のあいだあれだけ苦しめられた息もできないほどの烈風もなかった。
コンディションがよかったというよりも、厳しい冬の時季はもう終わったというかんじだな。
何事もスムーズに進みすぎるとあっけない。
やった気がしないとも、味気ないともいえる。
厳冬の津軽に通いつめているうちに、あの独特の重苦しい冬の空気がスパイスのような効き目にすら感じるようになってしまったみたいだ。
平和すぎる街に降りてきて、はやくも手応えのあるつぎなる計画を模索しはじめている。
厳冬の津軽通いは、もうしばらくはつづきそうだ。
旅先の土地の人たちとの交流についてもよく訊かれる。
日ごろから愛想などという表情とはほど遠いほうだ。
たいていの人とは目も合せないのに、いったいどのようなタイミングで人と知り合っていくのか、ともよく訊かれる。
結論から言うと、自分から話しかけることはきわめてすくない。
自分のやっていることを説明するには、日本語でもかなり骨が折れる。
それでも旅行者の少ないエリアでは、めずらしがられるのか頻繁に土地の人から話しかけられる。
誰かに話しかけられても、ぶっきらぼうに突き放すようにしか答えない。
当然相手も怪訝そうな表情になるが、そうしたなかでただひとつ好印象をもたれる会話のやりとりがある。
「ところでどうしてこんなマイナーな場所を旅しているんだ? そもそもどうしてこんな場所を知ってるんだ?」
「まず雄大な自然に魅かれてカナダを選んだんだよ。そのなかでもこのエリアは、手つかずの自然が残されていてたいへん気に入っている。ここで眺める夕日はサイコーだ。もう3冬も訪れているよ」
その土地の魅力を褒めると、ほぼまちがいなくその土地の人はよろこんでくれる。
ぶっきらぼうだった会話が、いつしか大歓迎になってしまったりする。
「寒いからウチにコーヒーでも飲みにこないか? 夕食を食べにこないか?」
それからはもう芋ずる式に知り合いを紹介されてゆく。
あとで知ったことだが、一般的にマイナーなエリアほどその土地を褒めるとひじょうによろこんでもらえるようだ。
昨年末の谷口けいちゃんの事故現場に行ってきた。
冬の時季は連日の風雪に見舞われるといわれる大雪山系も、この日は不思議なほどコンディションがよくて春のようなポカポカ陽気だった。
すごくいい山だった。