昨夜、読んだ本。
『努力不要論』(中野信子著)
そーだそーだ、読みながらイイネを100回つけたい気分になる。
じっさい努力地道勉強と声高にわめく輩ほど実績にとぼしい。
ぜんぶの人がそういうわけじゃないけど。
努力という魔のコトバに酔ってしまい、時間さえかければいつか誰かが認めてくれると勘違いしてしまっている。
もちろんそれで成果にたどり着く人もいるだろうけれど、それは犠牲を犠牲と思わず身体壊そうが何しようがかまわないというきわめてかぎられた覚悟のきまった人だろう。
大ざっぱにいってしまえば、たいていの努力はムダ。
それよりも自分が楽しいと思えること見つけたほうがいい。
好きこそ才能。
たとえ成果に結びつかなくても、すくなくともムダだったとは思わないはずだ。
かぎりある人生、やりたいことやらなきゃ損だ。
この本でもっとも印象的だった一文。
「もともとの能力が低く、しかし努力に努力を重ねてのし上がってきたという人は他人の才能を見抜いて潰しにかかってくる傾向が強い」
自分のまわりにもパッと何人か思い浮かぶ(笑)
トークイベントのようなもののお知らせ。
●タイトル
厳冬・北東北の山旅
●日時
6月30日金曜日19時から20時(トークのあとは懇親会のようなもの)
●場所
お店のようなもの
神奈川県横浜市南区中村町3丁目197番地
http://omise.nojukuyaro.net/?cat=5
●参加費
500円
●予約
不要
●詳細
http://omise.nojukuyaro.net/
(追って更新)
●トーク内容
今冬もダメだった。津軽の山へ、奥羽山脈の山へ、何度も足を運んだけれど、当初計画したことはなにひとつできなかった。雪崩に流されたり、身体の故障が酷くなったり。すべてがうまくいかなかった。それでも北東北の山には、麓をふくめると40日間ちかく滞在した。ダメだったけれど、北東北の自然の本質に迫ることはできたようだ。いつものことだけれど、中途ハンパに勉強していたり中途ハンパな体験しかしていない人は、来てもしょうがねよ(笑)
●プロフィール
田中幹也(たなか・かんや)
1965年生まれ。10代よりクライミングを始める。1983年神奈川県岩登り競技会2位。1985年から90年にかけてグランドジョラス北壁、谷川岳一ノ倉沢、黒部・奥鐘山西壁などの岩壁を200ルート登攀。冬季初登10ルート。より困難なアルパインクライミングをめざすも才能が全くないことを悟り断念。以後、水平方向の冒険に転向。1995年より20年間(19冬)にわたり厳冬カナダの山脈や平原を山スキー、徒歩、自転車で合計2万2,000km踏破。2013年、第18回植村直己冒険賞受賞。共著に『山と私の対話』(みすず書房)、共編著に『目で見る日本登山史』(山と渓谷社)など。登攀クラブ蒼氷ОB。
ホームページ
●その他
7月10日(月)のクライミングジム・ジャムセッション三鷹にくらべると、場所は超狭くてアクセスは不便(笑)
トークショーをやるよ!
●タイトル
厳冬カナダ2万2000キロの旅で思ったこと
●日時
7月10日(月)20時30分~22時
●場所
クライミングジム・ジャムセッション三鷹
東京都三鷹市上連雀2ー2ー5 ポリフォニー三鷹ビル2階
http://xn--xckbj6a9jra6a4gy403a4b6j.com/
●料金
以下、聴講料一覧(税抜価格)
ジムで登られる方:1500円
トークショーのみお聴きになられる方:1000円
マンスリーパスをお持ちの方:500円
●予約
不要
●トーク内容
垂直のクライミングの世界と水平の旅の世界と両方に触れながらどちらもドップリ浸かることのなかったという自分ならではの視点で厳冬カナダの旅というものを語ってみたい。
●プロフィール
田中幹也(たなか・かんや)
1965年生まれ。10代よりクライミングを始める。1985年から90年にかけてグランドジョラス北壁、谷川岳一ノ倉沢、黒部・奥鐘山西壁、甲斐駒ヶ岳などの岩壁を200ルート登攀。冬季初登10ルート。より困難なアルパインクライミングをめざすも才能が全くないことを悟り断念。以後、水平方向の冒険に転向。1995年より20年間(19冬)にわたり厳冬カナダの山脈や平原を山スキー、徒歩、自転車で合計2万2,000km踏破。2013年、第18回植村直己冒険賞受賞。共著に『山と私の対話』(みすず書房)、共編著に『目で見る日本登山史』(山と渓谷社)など。(株)スカイブルーサービス。登攀クラブ蒼氷ОB。
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前に読んだミャンマー北部の山岳民族の村に長期滞在したジャーナリストのルポでこんなことを思い出した。
もともと閉鎖的なミャンマーのなかでもさらに閉鎖的な山岳民族のエリア。
村の人たちは日本もアメリカも知らず、彼らの世界観はその村およびその周辺で閉じられている。
世界観がそこで閉じられた人たちには、いくら時間をかけて優しく噛み砕いて話したところで通じることはない。
最近山とかで会う人たちにもおなじことを感じたりする。
話がまるで通じない感がすごいのだ。
山の雑誌は毎月欠かさずに熟読してます。なんちゃら登山講習会で習ったことはきちんとテープにとってかならず復習しています。
事実を見ることよりも活字をはじめとした情報に重きを置く人たち。
情報というのはしばしば事実からかけ離れていたりする、といった話がまず通じない(笑)
活字をはじめとした情報に重きを置く人たちの世界観は、やはりそこで閉じられてしまっているのだろう。
理論派が良いとか感覚派が良くないとか、途上国が良いとか先進国が良くないとか、どちらがどうこうといった話ではない。
コミュニティにしろ社会にしろ、どっぷりとつかるほど世界観は閉じられてしまうのだろう。
溶け込むことによって、見えにくくなってしまうものがある。
きっと誰もがその人のなかでその人の世界観というものによって閉じられているのだろう。
苛立ちを抱えてはじめて気づくことってたくさんある。
先日の雪崩の顛末記、さめないうちに書いてみた。
雪崩に流されてからはや4週間になるけれど、書いたのは2週間ほど前だよ。
こういう時期というかタイミングにどうかとの意見もあるかもね。
でも登山も冒険も何時だって誰だって大なり小なりリスクを渡っているもの。
夏山の一般登山道だって、事故るときは事故る死ぬときは死ぬ。
たまたま自分や自分の身近で事故が起きないから自覚がうすいだけ。
そんなにリスクが嫌なら登山や冒険などとっととやめちまえ!このマニュアル・バカども!!、とまでは表現してないけど。
まあそんな意味もあって書いてみた。
書評を書いた。
『洞窟ばか』(吉田勝次著)
洞窟といえば陰鬱な印象が強いけれど、この本は著者の豪放磊落(たぶん?)なキャラともあいまってとにかく明るい。
じっさいに洞窟に行くのはちょっとと躊躇する人でも、この本は読み物として楽しめるとおもう。