昨夜読んだ本。
『千日回峰行』(光永覚道著)
かんじたこと以下。
・生きてゆくうえで欲は必要。
→欲がなかったら修行をしようとすらおもわない。欲深いのと欲があるのとは異なる。
・行(行動)を深めることによって、心がおだやかになる。
→自分の体験でも厳冬カナダなどで体力的に追い詰められていたにもかかわらず、心は妙にリラックスしていたことが何度かあった。
・空腹がつづくと頭が冴える。
→自分でも断食のまねごとをやったが、精神は研ぎ澄まされる。
「生きて帰ってきただけでもうれしい」(本文より)
千日回峰行に共感する箇所は多々あるが、自分にはまず達成できないだろう。
でも冬のカナダの旅に出会わなかったら、もしかしたら千日回峰行にトライしていたかもしれない。

昨夜のThe Tribeでのトークイベント「長期間&長距離 登山家列伝 第1回目」だよ。
戦後に「長期間」「長距離」をめざした登山家や冒険家にスポットをあて、その人の特色やめざしたものは何だったのか考える。
このあとも細貝栄、溝江朝臣、竹中昇、和田城志、深谷明、栗秋正寿などユニークな方々を紹介する全7回シリーズ。
オイラは毎回登場予定。
ほんとうにやりたいことがある人って、話題にならなくても周りがやっていなくてもやる。そしてつづける。
小雨のなか足を運んでくださった方々、はじめてお会いする方々、ありがとうございました
またお土産なども、ありがとうございました
きょう読み終えた本。
『国宝 下』(吉田修一著)
(どんなストーリーかはネットでいくらでもでてくるから略)
さいごは感動した。
物語としての感動はもちろんだけれど、この本の主人公である歌舞伎俳優の芸における超克した世界観に感動した。
もしかしたらこの歌舞伎俳優なら、オイラの十数年前に厳冬カナダ中央平原で酷い顔面凍傷の余波で一時期に目が見えなくなる直前の、一歩踏み込めたような解き放たれたようなあの感覚を話したら通じそうな気がする。
今週読んだ本。
『源流居酒屋始めました』(よーこ&たいしょー著)
山奥の限界集落に大きな古民家を買って自分らおよび仲間とリノベーションして開店する話。
さて田舎暮らしと聞いてすぐに思い浮かぶのは残念ながらネガティブなイメージだ。
旅人として訪れて自然にも土地の人にも魅せられて移住してみたら、冬は雪かきに疲労困憊しコミュニティでは密な人間関係に辟易する。
理想と現実のギャップ。
ところがこの本にはそうした苦労があまり出てこない。
(けっして楽したという意味ではない)
リノベーションしていたらしぜんと協力してくれる仲間があわられて土地の人たちとも仲良くやっている。
なぜ?
この先はあくまでも推測。
もしかしたら、移住前はふつうに組織の一員としてやってきた人のほうが田舎暮らしには向いているのではないか。
人付き合いはしっかりできるし、いろいろ我慢もしてきている。
行動力とアイデアはずば抜けているけれど自由奔放に生きてきた人って、一部から高く評価されるものの合わない人も多い。
バイタリティ溢れ過ぎる人って物事の好き嫌いが激しいから、気にくわないとすぐ言動に出ちゃう。
この本の著者は前者(とおもわれる)。
ちいさなコミュニティでは突出より調和。
今週は偶然べつの人から田舎暮らしのグチを聞かされて、ついそんなふうにおもった。
なおこの本は田舎暮らしの向き不向きといった堅苦しい話じゃない。釣り、狩猟、料理などのびのびとした楽しい話が満載だよ。
きのう読んだ本。
『僕はやっぱり山と人が好き 沢野ひとし対談集』
1980年代半ば戸田直樹、遠藤甲太、大内尚樹、大蔵喜福、江本嘉伸など18人との対談。
80年代半ばといえば、フリークライミングが急速にひろまりはじめた。クライミング雑誌では小川山や城ヶ崎で高難度のフリークライミングが頻繁に登場する。フリークライミングの先行きは明るかった。
一方、80年代半ばまでにエベレストもK2も無酸素登頂される。国内において最大級の奥鐘山西壁でも難ルートが冬季初登される。谷川岳一ノ倉沢衝立岩がフリー化された。アルパインクライミングにおいて大きな課題は一段落する。
60年代70年代にバリバリ活躍していた大学山岳部も社会人山岳会も急速に衰退、低迷がはじまった。
(もちろんごく一部の山岳部や山岳会は精力的に活動していたけれど、あくまでごく一部)
山岳会が元気になるのは飲み会のときくらい。
挑戦だけでなくより楽しさを追求する登山へと移行してゆく。
自分の好みの山もしくは山行スタイルを持ち合わせていない人は、ブーム(話題性?)が落ち着いたとたん路頭に迷ってしまう。
そうした時代において自分の山を見失わず、ユニークな登山や先鋭的な登攀を実践している人たちのはなしである。
昨夜読み終えた本。
『国宝 上』(吉田修一著)
表紙のごとくふたりの歌舞伎俳優のはなし。
(どんなストーリーかはネットでいくらでもでてくるから省略)
はなしが突然飛ぶ。
たとえば冒険の世界では表現力(動画、写真、文章)なのか実力(企画力、精神力、技術、体力)なのかとよくいわれる。
どうしても話上手が目立つ。
冒険は、スポーツのように難度の具体化(数値化)は難しい。
その分野に精通しているといわれる人でも難度をうまく掴めないことが多々ある。
歌舞伎もまた専門家でも評価が難しいのではないか。
血筋(世襲)なのか実力(演技力)なのか。
(もちろん血筋には一般的大衆には想像のつかない縛りも背負っているものも大きいだろう)
そして歌舞伎俳優のふたりの主役がどん底から這いあがろうとするところで、この本の上が終わる。
歌舞伎どころか演劇ですらまったく関心のない自分だけれど、気がついたらのめり込んでいた。
歌舞伎もまた混沌とした世界を試行錯誤しながら夢を求めてすすんでいるのかもしれない。