昨夜読んだ本。 『雪嶺秘話 伊藤孝一の生涯』(瓜生卓造著) たとえば実力があってもその分野を牛耳っている人に気に入られないと黙殺されてしまったりすることはよくある。 この本は、日本登山史から黙殺同様にあつかわれた二つの長大な縦走記録を柱にその人と背景を掘り起こしたもの。 この主人公の伊藤孝一は大学山岳部(旧制高校旅行部)とも町の山岳会とも関わりがない。 強いて肩書をいうならば資産家が、以下の記録をつくった。 ・1923年(大正12年)3月5日〜22日 黒部横断、芦峅寺〜立山温泉〜室堂〜立山・雄山〜立山温泉〜鳶山〜ヌクイ谷〜黒部川・平〜針ノ木峠〜大町 伊藤孝一ほか芦峅寺のガイド含め合計22人 ・1924年(大正13年)4月1日〜23日 真川〜北ノ俣岳〜黒部五郎岳(鷲羽岳、水晶岳、祖父岳にも登頂)〜双六岳〜槍ガ岳〜上高地〜徳本峠〜島々 伊藤孝一ほか芦峅寺のガイド含め合計33人 この時代をみると、各大学山岳部がようやく冬の槍穂高岳のピークを単体で登頂に成功しているにとどまる。 また伊藤孝一は冬の長い縦走に成功しただけでなく映画撮影も大がかりに行っている。 「伊藤は冬の縦走で日本山岳会の鼻をあかした」(本文より)