先日、北東北の山で雪崩に遭った。
気がついたら自分の身体もまわりの雪と一緒にスローモーションで流されはじめている。
大型冷蔵庫くらいの大きさの割れた雪片に身体が押されはじめて苦しくなった。
このままでいたらヤバイ。ようやく自分が雪崩に巻き込まれているなと気づいた。
40~50メートルくらい流されて身体は止まった。
身体がだいじょうぶなのを確認すると、なにも考えることなく降りはじめていた。
強い人は雪崩をくらってもそのまま登っちゃう。
いや、ほんとうに強い人は若いときに天まで昇っちゃう。
今朝のときに胸まで潜る湿雪のラッセルに自分ではめずらしくしんどいなあと独り言をいっていたのは、もしかしたら虫の知らせだったのだろうか。
あのまま流されていたら沢をそのまま数百メートル滑落していた。
正しい判断なんて、いつだって行動しない人あるいは終わった人の机上の空論にすぎねえ。
正しい判断ばかり求めるくらいなら、はじめっから山など行かないことだ。
そんなことを日記にずらずらと書き綴った。
今回途中で止まったのは、もしかしたら自分にはまだまだやり残したことがあるという神からの導きだったのだろうか。

厳冬の津軽の山の記事を書いたよ。
爆弾低気圧の襲来にあわせての入山、4年前より10回以上トライしたけれど全滅だった。
それでも1つの節目はついたかなという気分にはなっている。
そもそも完成なんて永遠にあり得ない。
角幡唯介、佐藤裕介、大西良治といった自分にとっては雲の上どころか天に近いような存在のクライマーたちに混じって紹介されとるけど、自分の冒険論はそれなりに綴れたかなと思う。
詳細はこちらだよ。
http://www.gakujin.jp/menu105/

「語るに値することは何ひとつありませんッ!」
近況を訊かれてそう答えると、たいてい空気が凍りついて会話が途切れる。
だってオリンピックでさんざんメダルをいくつ獲得したとか話題になってるってのに、自分なりにコツコツ努力したくれえで皆の前で何々やりましたなんておこがましくないだろうか。
他人との比較がすべてではないとはいえ、客観性がなさすぎるのもどうかな。
行動の成果そのもので完結するスポーツに対して、登山や冒険はいくらでも言葉によって偽造することができてしまう。
同じ登山や冒険であっても、死ぬかと思ったと一言添えることで、とたんにグレードアップされてしまう。
いや純粋に行動で勝負するアスリートと行動で足りないところを口でちゃらまかしてしまう登山家や冒険家のすさまじいばかりのギャップをすごく感じたりしているから。
だから近況を訊かれても、ぶっきらぼうに何もしてません、って自然に口から出ちゃう。
そういうトゲトゲしいノリが一般大衆を前にふさわしくないということはわかってるんだけど。
植村直己冒険賞20周年記念、ちょっと疲れたかな。
いや、けっこう疲れた。