厳しい状況のなかで、かならずしも強い者ばかりが生き残るとはかぎらない。
時と場合によっては、もしかしたら弱い者のほうが有利になるのかもしれない。
攻めの強さは、裏を返せば防御の弱さ。
弱さが長所になることもある。
逆に強さがウィークポイントになってしまうこともある。
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風雪、ホワイトアウトの津軽の山のなかでそんなことを思った。
山は逃げない。
そうよくいわれるけれど、じっさいはそうではない。
たしかに山は逃げないけれど、情熱というものはやがて冷める。
情熱とは旬みたいなもので、その時を逃すと必然的にチャンスも遠ざかる。
結局、山は逃げてゆく。
山にかぎったことではなく、あらゆるチャンスはそういうものだろう。
一生のうちでチャンスが1度きりというわけでもないが、チャンスはそう多くやってくるものでもない。
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この写真は2001年冬のカナダのセルカーク山脈の偵察時に撮った。
写真を撮った1時間後にクレバスを踏み抜き、この山がすっかり怖くなってしまい、本番として予定していたセルカーク山脈の縦走は中止した。
そのとき以来、この山には1度も訪れていない。
おそらくもう冬のセルカーク山脈の縦走を試みることはないだろう。
たった1度のわずかな失敗で、チャンスはあっけなく崩れ去ったりするものだ。
しかし、ひとつの可能性を「切り捨てた」ときから次なる可能性がはじまるともいえる。
セルカーク山脈でクレバスを踏み抜いた翌冬に、カナディアン・ロッキーを4カ月費やして1200キロ縦走した。
1つがうまくいかなくても、次をめざせばそれでいいのだと思う。
旅の資金についてよく訊かれる。
基本的に最低限の装備提供をのぞけば、資金面におけるスポンサーとの関係は皆無。
資金支援のための活動は、あえてやっていないといったほうがいいのかな。
一度だけ資金支援を受けたことがある。
そのことが原因かどうかわからないけど、おそろしいほど行動に集中できず、旅そのものもなんだかおもしろくなかった。
以来すべて自費。
といっても自分が訪れるところは飛行機のチャーターもなければ許可料も発生しない。
たぶん皆がおもっているよりもかなり安くあげているとおもう。
たとえば数年前の冬にカナダ中央平原を3カ月間旅したときは、日本からの飛行機代こみ現地の宿泊や食料すべて合わせて30万円ほどだった。
だいたいいつもそのくらい。
もともと山も旅も高校生のころからはじめていて、資金などほとんどゼロに近かったけど、それでもいつもなんとかなっちゃったから。
そんな経験があるからだろうか、資金がなければないなりにその範囲内で楽しめる。
最近では資金も装備も少ないほど貧弱なほど、あれこれ試行錯誤してそれ自体もおもしろいんじゃないかなと思えるようになった。
そんなかんじのノリで旅をつづけている。
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すこし補足する。
ここでは冒険のための資金支援の是非をいってるんじゃない。
場所によっては気合い入れて切り詰めて切り詰めたところで、どう考えても個人で資金を捻出できないケースだってある。
あくまでも、いま手に入るものでもじゅうぶんになんとかなるというはなしだ。
死のリスクがないものは冒険ではないだろう。
死のリスクと対峙するからこそ、「自分はいま、たしかに生きている」という手応えを実感する。
そして生はよりいっそう輝く。
でもやはりリスクと真摯に対峙する人といえども、あまりはやく逝ってほしくないものだ。
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昨夜1年ぶりに『アルピニズムと死』(山野井泰史著)を再読して、あらためてそうおもった。
2015.12.13 19:19 [
山 戯言 津軽]
3年前から取り組んでいる厳冬の津軽の山旅の記録を整理してみた。
7回トライして全滅だった。
何度トライしてもできないと嫌になって投げ出してしまうものがある。
いっぽうで何度トライしてもできないからこそぎゃくにのめりこんでしまうものがある。
すくなくとも今の自分にとっての厳冬の津軽は後者。
両者のちがいに難しい説明はいらない。
きっと自分とその対象との相性につきるのだろう。
ただやりたいからそれをやる。