今冬の津軽の山旅をふり返って、こんなことを思った。
「爆弾低気圧が直撃する時期に津軽の山を狙う」というこの冬のテーマの結果は、2勝3敗。
2回は厳冬の津軽の山頂に立つことができた。
でも、どうも納得がいかない。
入山したときこそ山も里も荒れ狂っていたけれど、稜線では低気圧が去りはじめるタイミングでもあった。
もしかしたらかなりズルしてないか。
易きに流されはじめていないか。
やはり狙うからには「爆弾低気圧が山頂付近を直撃する時期」だろう。
だから今冬の津軽で山頂に立ったというのは、なかったことにしてもいいんじゃないのかと思う。
(つまり来冬に、ふたたびトライする)
なんてことをいま思ってみた。
わたすカフェがオープンしたよ!
(知り合いが南三陸町ボランティアとかに携わっているので)
東北まではそれなりに遠いけれど、江戸ならちょっとした機会にふらっと訪ねることはできる。
詳細はこちらだよ!!
http://www.watasu.net
きのうはイスラム教の国を旅した話を聞いてきた。
このところ「イスラム関連イコールぜーんぶ悪党」って図式がひとり歩きしとる気がする。
でも、イスラム以外だって日本だってどこだって悪党はいる。
きょうだって朝の山手線に乗り遅れたサラリーマンとおもわれるクソ・オヤジが、いきなり電車のドアを思いっきり蹴っとばしてたでよ(悪党の内に入らんか(笑))。
あるいはバンコクとかカトマンズのゲストハウスでビール飲みながら若者バックパッカー相手に「好きなことばっかやっていていつかきっとそのツケがまわってくるぞ」とくどくど説教するクソ・オヤジだって、見方によっちゃ処刑してもええんとちゃうか(これまた悪党のうちに入らんか。でも迷惑このうえないぜよ(笑))。
おっと、話がちょっとそれた。
はやい話がイスラム教の国の人たちの大半は良い人たちで、苦闘はほんの点のごとくごく一部ってこと。
きのうの講演会では、バイクでイスラム教の国々をまわり土地の人たちがとにかくホスピタリティーにあふれていたという体験談。
親切に対して見返りを期待しない。
じつは自分もイスラム教の国を旅したときに同様の経験をした。
食堂とかで飯を食っていると誰かしらが知らないうちに精算を済ませていてくれたり、旅人だとわかるとお金を受け取ろうとしなかったりってなことが日常ごくしぜんになされていた。
とにかくイスラム教の国の旅は良き思い出ばかりだったという講演だった。
http://blogs.yahoo.co.jp/pocoyuko2006/56691917.html
きのうはめずらしくトークライブに行った。
早大探検部ОB・ノンフィクション作家の角幡唯介さん。
3月末から1年以上にわたり北極圏の旅に出る。
グリーンランドのシオラパルクからカナダのグリスフィヨルドまで、徒歩でソリを引いて期間5カ月。2カ所にデポするほかはサポートなし。厳冬(次のシーズン)の真っ暗闇という最も厳しい時期をあえて狙う。つまりもっともリスクの高いスタイル。ゴールするために(実績を獲得するために)もっともコンディションの良い時期にもっとも安易なルートから挑む昨今の冒険界の主流とは対極のスタイル。
そもそも冒険とは、従来のスタイルに固執して復習するのではなく、発想を転換させてゆくことなのだから。オイラにとってはひさびさに「話せばわかる」ってかんじの人だった。
ほかの登山家や冒険家もそれなりにいい人たちやけど、本来の登山や冒険とは「システムの外に出る」って発想がないんじゃ、わざわざ会って話を聞きたいなんて思わねえからね。