昨夜読んだ本。
『人はどう死ぬのか』(久坂部羊著)
数々の人たちの最期を見届けてきた医師が綴ったもの。
死ぬかと思ったという体験は何度でもできるけれど死際というのは一度しか体験できない。
死際こそ、たくさんの気づきがあるのではないか。
その人の初見における度胸が試されるのかもしれない。
自分は天才などともてはやされたけれどただ他人より多く練習しただけで特別なニンゲンではなかった、などあらゆる現実との対峙。
死際こそ人生の集大成かもしれない。
苦しみたくないと思っている人ほど苦しむ。
12月中旬に疲れからか体調不良に陥り、年末年始の山旅はどうなってしまうのかと焦る。
もともと故障だらけの身体は加齢ともあいまって、さらに悪化の一途を辿る。
でもクリスマス寒波は、上越のびしょびしょ雪と戯れることができた。
新春寒波は、津軽の風雪とホワイトアウトを連日満喫する。
出発ぎりぎりまで逡巡していたけれど、やっぱり行ってよかった。
余はそこそこ満足じゃ。
◇
この写真は、津軽の最終日の夜明け前の吹雪。
埋もれかけているテント。
とりあえず、あけおめだよ。
体調良くなくて新年のネタがないから会社の年賀状。
昨夏のオイラの江ノ島の灯台の塗装作業だよ。
フリーペーパー「山歩みち」に、映画『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界』(武石浩明監督)の解説を書いた。
山野井さんのふだんのゆるキャラと激しい登攀が、いまだに結びつかない。
だから山野井泰史の登攀と人について書く作業はいつも苦労する。
彼のことを書きながら自分のやってきたこともふり返りつつ整理してみた。
ここ数年、欲求の器が小さくなってきているのをかんじる。
体力気力の低下ももちろんあるけれど、それよりも若いときからやりたいことはやってきたからだろう。
もし仮に若いときにやりたいことよりも周囲の目を判断基準に何かをやっていたら、承認欲求のために振りまわされていたような気がする。
そしてあえてやりたいことがなければ、それは現状に満たされていることなのだろう。