きのう読んだ本。 『重厚長大 正木喜啓君 追悼集』 感心したこと以下。 ・部員が減少してもやる人はやる 山岳部の部員減少は昭和の時代の終わりのころからあった。多くの大学ではメンバー減少にともない活動の規模を縮小。ところがこの本の正木さん、部員が自分ひとりになっても他大学山岳部がマネできないようなボリュームある山行を成してしまった。さいごは部員の数よりも個々人のやる気の問題に尽きる。 余談だが昭和の時代、部員が3人になったけれど小まわりが効くと精力的に登攀に取り組む大学も例外的にあった。 ・三十代後半になっても冬の長期縦走実践 学生時代より三十代後半まで一貫して冬の長期縦走にひとりで取り組んでいた。冬の長期縦走は体力勝負。登山のあらゆるジャンルのなかで、冬の長期縦走が最初にできなくなるともいわれている。 オイラの経験では35歳のとき、冬の長期縦走の体力的な限界をかんじて見切った。和田城志が四十代後半まで冬の黒部横断をやっていたけれど、例外中の例外であろう。ヒマラヤ高峰の高齢者登頂記録はあるが、ガイドの戦略やシェルパの介護力によって支えられている。 ・課題はいくらでもある 昭和の時代の終わりのころになると、課題はすでになくなったとよくいわれた。エベレスト無酸素登頂が成され、冬の欧州三大北壁がソロで登られ、国内の大きな壁の難ルートも冬に登られた。 しかし課題はすでになくなったとは旧制高校山岳部のころからいわれていたそうだ。北鎌尾根も登られちゃったとか奥穂高岳南稜も登られちゃったとか。課題はそこにあるのではなく、いかにして見いだすか。嗅覚の発達していない人、心が終った人には見えにくいのだ。 冬の長期の馬蹄型縦走、すくなくとも昭和の時代に自分のまわりでは聞かなかった。 さいごにドスの効いた冬の長期縦走のアップ。 ・2008年2月16日〜3月18日(32日間) 冬季南アルプス馬蹄型縦走 布引山〜笊ヶ岳〜転付峠〜黒河内岳〜農鳥岳〜北岳〜塩見岳〜荒川岳〜赤石岳〜聖岳〜光岳〜寸又峡 ・2010年2月8日〜3月11日(32日間) 冬季北アルプス馬蹄型縦走 日本海親不知〜犬ヶ岳〜白馬岳〜唐松岳〜五竜岳〜鹿島槍ヶ岳〜針ノ木岳〜烏帽子岳〜三俣蓮華岳〜黒部五郎岳