自転車旅は果たして冒険といえるのか? 最近そうよく訊かれる。 おそらくさまざまな意見が飛び交うだろう。 でもまず自転車旅以前に、冒険の定義を定めないと話は進展しない。 そもそも冒険の定義そのものが曖昧模糊としている。 リスクをおかすこと、主体性があること、危険であること、などなど冒険を成す要素は多種多様すぎる。 個人個人によっても捉え方はあまりにも幅がありすぎる。 同じ行為であっても各々の経験値によっても大きくちがってくる。 ある人にとってはルンルン気分のお散歩であっても別の人にとっては清水寺の舞台から飛び降りる覚悟だったりする。 だって頭のぶっ飛んだ先鋭クライマーにとっては、落ちたら確実に死ぬようなフリーソロ(ロープを結ばずにクライミング)でなければ冒険にはならなかったりする。 いっぽうで3歳くらいのお子さまにとっては、もしかしたらはじめてのおつかいだってじゅうぶんにリスクがあるともいえよう。 もしかしたら戦場カメラマンにとっては、自転車だの登山だのクライミングだのそんなのぜんぶお遊びだというかもしれない。 そう考えてみると収集がつかないともいえる。 そもそもレースではないからルールもない。 だったら服部文祥のサバイバル登山や角幡唯介の極夜の北極圏行のように、新しいひとつのゲームとして自身が納得するようにルールを定めてしばえばいい。 人それぞれに自分が納得するかたちで冒険の定義を定めてしまう。 そして行動を通した結果、その定義の条件を満たせたかどうかで冒険だったのか冒険ではなかったのか論ずればいいではないのかな。 ちなみに自分の場合は、自転車旅における冒険の定義というものを次のように捉えているよ。 すでに凍傷を患っていてドクターからこれ以上やったら壊死部分の切断確実だと太鼓判を押されてから、どれだけ走る(押す?)ことができるか。 * いや、このところある冒険クライマーからやたらと本来の冒険とは何ぞやと議論をふっかけられ長電話もかかってきたりするので、ざっと整理してみた。 そもそもルールの存在しないところでの価値基準なんて自分できめればいいと思う。 周囲の意見がどうこうだの雑誌がどうこうだのそんなの関係ねえ!!