頭のなかでイメージできたことはたいてい実現した。 これまでの自分の経験からそうであった。 たとえば20年前の厳冬のカナディアン・ロッキー縦走、期間50日間、距離500キロを試みたときも、旅立ち前にたくさんの不安をかかえつつなぜか自分が山脈を歩ききってしまう姿がイメージできた。 道中でアクシデント諸々あったけれど、最終的にはほぼ当初の予定どおりに踏破することができた。 「初めてのスキーでそんな大それた計画なんて、ちょっと厳しいんじゃない。。。」 あるていど事情に通じている人のコメントはおおむね的を射ている。 でもヘタに事情に通じているがゆえに安全パイを選択しがちだともいえる。 同様のことはこれまでに数えきれないほど経験している。 いっぽう自分にそこそこ経験があろうとも、頭の中でイメージできないことはやはり実現しなかった。 「それだけ経験あることだし、アナタならこれまでのようになんとかこなしちゃうでしょ!」 あるていど事情に通じている人から太鼓判を押されたところで、結果を出すのはあくまでもすべて自分にかかってくる。 踏破しきるイメージができなかったものは、やっぱりダメだった。 2つの結論を得た。 周囲の意見なんて言葉としては正しいのかもしれないが、現状と照合するとほとんど平和ボケしたヒマ人の雑音に過ぎないことが多い。 できるできないの分岐点が経験とか技術よりも、頭の中で描く想像力みたいなものに大きく左右される。 だから頭の中でイメージできることは、夢としてかたちになる。 * この写真はカナダ中央平原北部のときのもの。 両方の足指に酷い凍傷を負いながらもなんとか可能性を見いだそうと、ひたすら地図を眺める。 体力トレーニングや装備の選択などよりも、ひたすら地図を眺めてイメージする時間をことのほかだいじにしている。