先日の記者会見。
・「中途半端に勉強した人や、中途半端な経験しか積んでいない人に、『危ないから止めた方がいい』といわれたらゴー・サインだ」
カットされるにきまっていると思ってコメントしたところがそっくりそのまま掲載された。
みなさん、ありがとう!
あいかわらず受賞へのメッセージが届いている。
なかでも感慨深かったのが、
「なんともらしくない。。。」
「辞退を押し通さなかったのか。。。」
知人からのネガティブな声は、自分のもうひとつの思いとも重なる。
今回のことは1月下旬、あるところからの情報でわかっていた。
以来ひたすら悩んだ。
凍ったテントのなかでも、カナダの都市の安宿のベッドでも、風雪の津軽でも、そして歩きながら。
東京にもどってから思い悩みはさらに増大。
植村直己の軌跡をあらためて確認しようと図書館へ行くも、気がついたら太宰治の生涯を読みふけっていた。
結果的に受賞を受け入れたことがよかったのか辞退したほうがよかったのか、自分でもわからない。
おそらく誰にもわからないだろう。
賞とは行動に対する偶然の結果であって目的ではない。
ただひとついえることは、受賞しようがしまいが自分はこれまでのまま変わることはないし変わるつもりもない。
今回の受賞では、選考において結果よりも過程に重きを置いてくれたことはなによりも嬉しい。
いっぽうで、大衆に受け入れられてしまったという時点で、厳冬カナダはもはや冒険としては成り立たなくなった。
自分の冒険の規準は、中途ハンパに勉強した人や、中途ハンパな経験しか積んでいない人に「危ないから止めたほうがいい」といわれたときにゴー・サインを出す。
いずれにしても厳冬カナダは、自分にとっては過去のものとなった。。。
1カ月余のカナダ中央平原の旅から帰国。
今冬はめずらしく(?)酷い凍傷を負うこともなく、大きなケガをすることもなかった。ところで、1995年以来20年間18冬におよぶ厳冬カナダのエクスペディションだが、ある出来事がきっかけとなって今冬であっけなく終わった。その出来事については諸事情との絡みもあり今ここでは公表できないが、今月中には公表できる。
挑戦を目的にする厳冬カナダは今冬で見切りをつけた。でも雄大な自然と穏やかな土地の人たちはあいかわらず好きだ。カナダ再訪にはやくも思いを馳せている。こんどは気象条件の厳しくない季節にふらりとやって来る。明確な目的はない。気の向くままに街で滞在し、ぼんやりと目の前の光景を眺める。南の島へ気分をリセットしにゆく感覚に似ているかな。集中していると見逃してしまうものがある。肩の力を抜いてはじめて見えてくるものがある。
きっとこれまでの20年間におよぶカナダでは見過ごしてきてしまったものが見えてくる気がする。そうしたわけで、おそらくカナダとは末長く付き合っていくとおもわれる。「厳冬カナダに通っていたころはよかったなぁ。厳冬カナダのエクスペディションに見切りをつけてもっとよかった」。何年か経って、そんなふうにおもえたらいいな。。。