日本に帰国して、さっそく凍傷の専門医に診てもう。
まず、眼球そのものは問題なし。じつはこれがいちばん心配だった。
こまかい説明は省略するけど、直接のダメージではないから。
頬も壊死部分が自然に欠落したので、これもとくに問題なし。
やっぱり今回は見極めがよかったのかな。
来週から厳冬カナダへ。
凍傷の後遺症で見通しすら立たない。勝算はまるでない
では、どうして懲りずに厳冬カナダへ行くのか? 旅立つ理由は3つある。
一つめは、ここ一年、傭兵・高部正樹の著書をよく読んだ。激しい銃撃戦でも、最後まで逃れることを潔とせず戦いつづける。どんなに辛くても苦しくても、決して逃げ道を探そうとしない。どんなに大きなリスクに直面しても、決して背中を見せない。その多くは、病に倒れ、銃弾を浴びて死ぬ。何にでも見返りだの理由づけだの求める今の世の中で、己の信念にまっすぐに生きた男たち。「義をもって死すとも不義をもって生きず」の生き様を知ってしまった以上、自分も行動を起こさないわけにはいかない。
二つめは、行動しているほうが精神的に楽だから。動きつづけていれば次々と不安定な状況を求める結果になる。辛い状況だが、何もせずに停滞しているときの焦燥感ほどの不快さはない。
三つめは、厳冬カナダの自然の魅力。雄大なスケールや厳しい自然や自由な土地柄など、星野道夫の著作を読めば魅了される。今冬は大事をとって他の国も検討した。しかし最終的には、やっぱり厳冬カナダになった。きっと相性なのかもしれない。今の自分のハンディを越えるほどの魅力を厳冬カナダは内包しているともいえる。
はっきりいって自分のやっていることに、その先がまったく見えない。自分が何を求めているのかも、いまだに思い描けない。
ただ、動き出さずにはいられないから行くだけである。とにかくリスクに背を向けず動き出すしかない。それが勝算のまるでない厳冬カナダへの旅立つ理由である。