ひさびさに再読してみた。
「インタビュー 吉田和正」
自分とはやっていることも訪れるエリアもまるで接点がないけれど、なぜか物事に対する取り組む姿勢は共感することが多かった。
吉田和正の世界はディープすぎて、一般大衆に説明するのはあまりにも難しい。
彼のクライミング人生には、妥協という言葉がない。
何かをやるにあたって、つねにあらゆる犠牲のもとに成り立っている。
若いころからの激しいクライミングで、三十代のころから身体はすでにボロボロ。
腰を疲労骨折した状態で課題(クライミング)に挑む。
1日トライすると身体の故障ゆえに3日寝込む。
自虐的とも精神が破綻しているとも揶揄される取り組み方。
行動はスポーツだが、心は孤高のアーティストに通づるものがある。
効率や結果を重視する世の中において、こういう姿勢はむしろ否定的にとらえる人のほうが多いだろう。
でも効率や結果の一点張りでないところに、クライミングや冒険や人生のおもしろ味はあると思う。
自分としては、1つのテーマにこれほど真摯にのめり込める姿勢が羨ましくもあった。
マネはできないけれど、すこしでも近づけたら。
そして自分が厳冬カナダで凍傷などのアクシデントに見舞われるたびに、吉田和正のことを思った。
もし彼だったら凍傷で足の指が真っ黒の壊死状態になっても断念せずに精根尽き果てるまで歩きつづけるのではないだろうか。
現地で入院していた病院のベッドで、そんなことを日記に綴ったこともあった。
そうした意味では、影響を受けた部分はひじょうに大きい。
*
孤高のクライマー吉田和正は、先日ガンのために亡くなった。
http://blog.livedoor.jp/hardlucktome/
2016.10.21 09:33 [
山 戯言 旅]
9月下旬から10月上旬の半月ちかく、東北の山をまわってきた。
思ったよりも歩けたかな。
危惧していたほどヒザも腰も悪化しなかった。
傍から見たらどうでもいいような身体のわずかな変化に一喜一憂しているだけかもしれないけれど、故障持ちにとって体調がさして悪くないのはやはりそれなりに嬉しい。
さて東北の山は山そのものももちろん良いけれど、地味だけれど落ち着きのある山麓をふくめて山をとりまくぜんたいが魅力的に感じる。
何度訪れても良いところだなぁ。
おなじ場所にいても、人によって目に入ってくるものってちがう。
自分の場合、十代から二十代前半にかけては、山に行っても岩壁しか見えなかった。
そこに行くまでの途中の景色も山頂からの眺めも、いっさい記憶にない。
二十代半ばからしばらく二十年以上は、山からかんぜんに離れた。
ふり返ることもなかった。
ここ数年は、山に行くとこれまで気づかなかったいろいろな自然の変化が目にとまるようになってきた。
また何年かしたら、きっと変わるだろう。
そのとき目にとまったものには一歩近づいてみる。
目に入らなかったものは無理してさがさない。
まわりで話題になっているとかメディアが勧めているとかではなく、そのときそのときで自分が目にとまったものを眺めていけばいい。
そのときその人の目に入ったものが、その人が求めているもの。
2016.3.27 08:48 [
冒険 山 戯言]
登山も冒険も旅も、もっと自由にやればいいのになぁ。
このところよくそんなふうに思う。
たとえばだけど、いざというときの後ろ盾となる無線機やら衛星携帯やらGPSやらを持って行くことが、フェアであるとかフェアでないとか。
サポートやデポは、良いだのわるいだの。
あれダメこれダメこれもダメ、、、
自由を求めて登山や冒険や旅に出かけているはずが、これじゃあはっきりいって本末転倒だね。
ちなみに自分の場合、国内においてはスマホは持って行く。
理由は、ネット依存症だからだ(笑)
それと無線機やGPSは持って行かない。
理由は、なんとなくうざったいから。
持っていきたければ持っていけばいい。要らないとおもえば置いていけばいい。
堅苦しい理屈なんかよりも感覚的にきめている。
冒険論云々はもちろんたいせつだけど、自分がやりたいテーマを自分の好きなスタイルでやることのほうがもっとたいせつなんじゃないのかな。
規制というのはやはりわずらわしい、純粋に山や自然と対峙したい。