今冬の津軽の山旅をふり返って、こんなことを思った。
「爆弾低気圧が直撃する時期に津軽の山を狙う」というこの冬のテーマの結果は、2勝3敗。
2回は厳冬の津軽の山頂に立つことができた。
でも、どうも納得がいかない。
入山したときこそ山も里も荒れ狂っていたけれど、稜線では低気圧が去りはじめるタイミングでもあった。
もしかしたらかなりズルしてないか。
易きに流されはじめていないか。
やはり狙うからには「爆弾低気圧が山頂付近を直撃する時期」だろう。
だから今冬の津軽で山頂に立ったというのは、なかったことにしてもいいんじゃないのかと思う。
(つまり来冬に、ふたたびトライする)
なんてことをいま思ってみた。
冬の津軽を1週間ほど旅してきた。
なぜだかわからないけれど、この地に魅かれた。
地味すぎるなかで、どこか深みのようなものをかんじる。
沈鬱と寂しさと閉塞感とがないまぜになって、独特の存在感をつくりだし強靭な生命力みたいなものをかんじた。
冬の津軽、そこは本州の極地だった。