昨夜読んだ本。
(一気読み)
『「幸せ」を背負って 積雪期単独 北海道分水嶺縦断記』(野村良太著)
行動の概要は以下。
・2022年2月26日~4月29日(63日間)
宗谷岬~パンケ山~咲来峠~函岳~シアッシリ山~美深峠~ピヤシリ山~天北峠~ウェシリ岳~天塩岳~浮島峠~チトカウニシ山~北見峠~石北峠~石狩岳~ヒサゴ沼~トムラウシ山~佐幌山荘~狩勝峠~日勝峠~芽室岳~カムイ岳~コイカクシュ札内岳~ペテガリ岳~神威岳~トヨニ岳~楽古岳~襟裳岬
距離670キロの北海道分水嶺の単独踏破。
ピヤシリ山避難小屋(210キロ地点)、天塩岳避難小屋(314キロ地点)、ヒサゴ沼(424キロ地点)、佐幌山荘(481キロ地点)の4カ所にデポ。
佐幌山荘までスキー、日高山脈はスノーシュー使用。
途中ストックが破損したり、テントポールが紛失したりする。またデポした食糧がネズミに荒らされ、破損や紛失した装備や食糧の補給を受ける。
まず長期戦になるほど、トラブルは頻発する。なかなか計画どおりにはいかない。むしろたいてい計画どおりにならない。
単独行におけるサポートはどこまで許容されるのか。
もちろんそのような定義はないものの、多くの単独行者は思い悩む。
でもトラブルがあったときにサポートしてくれる仲間がいるのはすばらしいではないか。
トラブルがなくても何かあれば誰かがきっとサポートしてくれるとおもうだけでも心強い。
人から離れて行動するからこそ、ふだんにも増して人の温かさに触れることができる。
この北海道分水嶺縦断は2つの記録がある。
・1975年3月~1992年2月、工藤英一が15回に分割して延べ130日間で踏破。
・1993年12月~94年6月、ジャイアント・ロボ(志水哲也)がワン・シーズン(12回に分割して)で行った。
いずれも『北の分水嶺を歩く』(工藤英一著)、『果てしなき山稜』(ジャイアント・ロボ(志水哲也)著)と本になっている。
時代背景が異なるし、なによりも三人それぞれキャラも異なるので、読みくらべるのもなかなかおもしろい。
ところで本のタイトルにある「幸せ」とは何か。気になる。
それをいってしまうとネタバレになってしまう。
でもオイラもまた幸せを背負って歩いてきたのだろう。きっと多くの単独行者も幸せを背負って歩いている。
知らぬ間にこんな本棚ができていたよ。
(都内某所の地下1階)
紹介したい本はいろいろあるから少しずつ増やしていこう。
おもしろさを一言あるいは短い文で言い表せない本が多いのはたしかだ。
ヘタな自己紹介より本棚をみせたほうが、どんな人かつかみやすいとおもうよ。
昨夜、読んだ本。
『プリズン・ドクター』(岩井圭也著)
(おおたわ史絵の『プリズン・ドクター』とはちゃうで)
こちらは医療小説。
舞台は、刑務所における医療。
でも背骨の部分は、看守の爆走する正義感の恐ろしさ。
「悪の自覚がある人間は、自分の罪の重さを承知している。しかし正義に酔いしれた人間には、自分が犯した正義感さえ見えていない」(本文より)
自信満々にSNSで人を叩く、「自称・正義の人」がふっと頭に浮かんだ。
昨夜一気に読んだ本。
『41人の嵐 台風10号と両俣小屋全登山者生還の一記録』(桂木優著)
メモしたこと以下。
・危機に瀕したさいの解決策に正解はない。
→自分としては、直感的にいちばんはじめに頭に思い浮かんだことを重視している。
・危機に瀕したさいに問われるものって、いったい何なのだろう。
→はたして経験は生きるのか。あるいは経験は邪魔になるのか。
・主人公の小屋番はもちろんだけれど、学生たちもかなりしっかりしている。
→体育会系の良き面、チームワーク。
もし仮に自分が小屋番だったら、あるいは学生のひとりだったとしたら、もしかしたら全滅に導いていたのか、それとももっと効率よく撤退できたのか。
あれこれシミュレーションしてみると、自身の短所がみえてきたりする。
昨夜は、本の紹介(「二十歳の原点」(高野悦子著))のミニ・イベント。
うまく話せたかどうかはわからない。来てくれた人たちを楽しませることができたかどうかはわからない。
ただ自身のなかで悶々としていた十代のころのことが、すこしずつ整理されてきたのはたしかだ。
生まれてきたからには、何か大きなことをやりたい。でも踏み込む勇気がない。だって山では失敗したらすぐに死んじゃう。でもやっぱり今のままじゃダメだ。
そういう思いを毎日のようにくり返してきた、自分の十代のころ。
あのころはただ出口をさがしていた。