昨夜読んだ本。
『大峯千日回峰行 修験道の荒行』(塩沼亮潤(荒行成就)、板橋興宗(聞き手))
大峯千日回峰行は、1300年の歴史で達成者2人。
かんじたこと以下
・おもいのほか苦労話がすくない
→壁を乗り越えましたよりも、苦況のなかで新たな自分に出会えるか。
・行は目的ではなく手段
→達成よりも、とらわれのおもいから解き放たれること。
・おもいのほかふつうの人
ストイックな孤高の人かとおもいきや、なんとも穏やかな印象。
「行が終わったら行を捨てなさい」(本文より)
昨夜読んだ本。
『凪(なぎ)の人 山野井妙子』(柏澄子著)
かんじたこと以下。
・表紙がいい
→表紙をとりはずしてひろげてみるともっといい。激しい登攀とおだやかな日常と。
・凍傷で指を切断してからのほうがクライミングがうまくなっている
→指がある人よりも登れたりする。家事に関しては、指がちゃんとある自称・主婦のベテランより遥かにきちんとこなす。
・山行歴のさいごが南アルプスの南部というのもいい
→古希をむかえ、これからどんな山行がならぶのだろう。おそらく潮どきといった概念すらないのかもしれない。
昨夜読んだ本。
『沙漠人間砂漠』(奥村大海著)
何をめざしているのかわかりにくい旅だ。
GPS、地図、コンパスなしで厳冬のゴビ砂漠を歩く。
(最低気温マイナス30度C)
移動するには何とも効率のわるいスタイルをあえて選択する。
でもおもしろそうやないか。
思いどおりにすすまない日って、濃厚な記憶がのこったりする。
旅ものにはたいてい載っている地図が、この本にないのもええやないか。
昨夜読んだ本。
『千日回峰行』(光永覚道著)
かんじたこと以下。
・生きてゆくうえで欲は必要。
→欲がなかったら修行をしようとすらおもわない。欲深いのと欲があるのとは異なる。
・行(行動)を深めることによって、心がおだやかになる。
→自分の体験でも厳冬カナダなどで体力的に追い詰められていたにもかかわらず、心は妙にリラックスしていたことが何度かあった。
・空腹がつづくと頭が冴える。
→自分でも断食のまねごとをやったが、精神は研ぎ澄まされる。
「生きて帰ってきただけでもうれしい」(本文より)
千日回峰行に共感する箇所は多々あるが、自分にはまず達成できないだろう。
でも冬のカナダの旅に出会わなかったら、もしかしたら千日回峰行にトライしていたかもしれない。
今週読んだ本。
『源流居酒屋始めました』(よーこ&たいしょー著)
山奥の限界集落に大きな古民家を買って自分らおよび仲間とリノベーションして開店する話。
さて田舎暮らしと聞いてすぐに思い浮かぶのは残念ながらネガティブなイメージだ。
旅人として訪れて自然にも土地の人にも魅せられて移住してみたら、冬は雪かきに疲労困憊しコミュニティでは密な人間関係に辟易する。
理想と現実のギャップ。
ところがこの本にはそうした苦労があまり出てこない。
(けっして楽したという意味ではない)
リノベーションしていたらしぜんと協力してくれる仲間があわられて土地の人たちとも仲良くやっている。
なぜ?
この先はあくまでも推測。
もしかしたら、移住前はふつうに組織の一員としてやってきた人のほうが田舎暮らしには向いているのではないか。
人付き合いはしっかりできるし、いろいろ我慢もしてきている。
行動力とアイデアはずば抜けているけれど自由奔放に生きてきた人って、一部から高く評価されるものの合わない人も多い。
バイタリティ溢れ過ぎる人って物事の好き嫌いが激しいから、気にくわないとすぐ言動に出ちゃう。
この本の著者は前者(とおもわれる)。
ちいさなコミュニティでは突出より調和。
今週は偶然べつの人から田舎暮らしのグチを聞かされて、ついそんなふうにおもった。
なおこの本は田舎暮らしの向き不向きといった堅苦しい話じゃない。釣り、狩猟、料理などのびのびとした楽しい話が満載だよ。
きのう読んだ本。
『僕はやっぱり山と人が好き 沢野ひとし対談集』
1980年代半ば戸田直樹、遠藤甲太、大内尚樹、大蔵喜福、江本嘉伸など18人との対談。
80年代半ばといえば、フリークライミングが急速にひろまりはじめた。クライミング雑誌では小川山や城ヶ崎で高難度のフリークライミングが頻繁に登場する。フリークライミングの先行きは明るかった。
一方、80年代半ばまでにエベレストもK2も無酸素登頂される。国内において最大級の奥鐘山西壁でも難ルートが冬季初登される。谷川岳一ノ倉沢衝立岩がフリー化された。アルパインクライミングにおいて大きな課題は一段落する。
60年代70年代にバリバリ活躍していた大学山岳部も社会人山岳会も急速に衰退、低迷がはじまった。
(もちろんごく一部の山岳部や山岳会は精力的に活動していたけれど、あくまでごく一部)
山岳会が元気になるのは飲み会のときくらい。
挑戦だけでなくより楽しさを追求する登山へと移行してゆく。
自分の好みの山もしくは山行スタイルを持ち合わせていない人は、ブーム(話題性?)が落ち着いたとたん路頭に迷ってしまう。
そうした時代において自分の山を見失わず、ユニークな登山や先鋭的な登攀を実践している人たちのはなしである。