昨夜、読んだ本。
『フィリピンパブ嬢の社会学』(中島弘象著)
大学院の修士論文のテーマにフィリピンパブを選び、調査のために店を訪れていたら、いつの間にかフィリピン・ホステスと付き合いはじめていた。
自分のまわりでも東南アジアを旅していたら、気がついたらタイ人女性と一歩前進した間柄になってしまった人が何人かいる。なかにはタイ人女性と日本人女性と両立しとる人もいるでよ(笑)
この本のタイトルに社会学とあるけれど、中身は小説のように波乱に満ちた半生記。あっという間に読み終えた。
昨夜、読んだ本。
『無一文「人力」世界一周の旅』(岩崎圭一著)
(旅の詳細は、ネットでいくらでも見れるし最近クレイジージャーニーにも出演したので略)
この著者は、30歳を前に「このままでは人生があっという間に終わってしまう」と旅に出る。いらい25年間無帰国で、50歳を過ぎたいまも旅の途上。
おもったこと以下。
・パッとしなかった時間こそが、その後の充足する時間をつくりだしてゆく。
→ほどよく満たされてしまったら、飛翔するきっかけは生まれない。
・何かを成し遂げるさいにものをいうのは、こまかな技術や知識よりも実行力。
→こまかな技術も知識も、かえって小さくまとまってしまう。正論をならべてゆくと、机上で人生が終わる。
・何かを成し遂げたいと切望しつつ、できる人とできない人がいる。
→できなかった人のほうが、社会に適応していたりする。できてしまった人のほうが、夢の実現という魔物によってときにがんじがらめになっていたりする。
きょう読み終えた本。
『パンドラ ―約束の頂―』(大石明弘著)
この本は大石くんの半生記。
大学に入って不思議なシェアハウスに住むところから、ハチャメチャな青春がはじまる。
ちっこくまとまらない行動力の塊――野口健、平出和也、谷口けい、平賀淳、小林元喜――らとの出会いで世界は格段にひろがる。
大学1年ですぐヒマラヤ6000m峰登頂、3年でマッキンリー登頂、4年で8000m峰登頂。
(高校時代に山はほとんどやっていない)
順風満帆のようだけれど、そうでもない。
大学を出てもしばらくすると家業を継ぐことになる。大雨による自営業のための備品の大損害。たびかさなる山仲間の死。
それでも家業と家庭をもちつつ山への思いは尽きない。
国内の高難度の冬季登攀から欧州アルプス、アラスカのハンター北壁へ。そして『太陽のかけら アルパインクライマー谷口けいの軌跡』の執筆。
いったいどっからそんだけのパワーが出てくるんやッ!?
この本のタイトルであるネパール・ヒマヤラのパンドラ(6850m)北東壁に挑むのは、アルパインクライマーとしてピークをとっくに過ぎた44 歳。
ネパール入国して早々大雨による土砂災害にみまわれたり、ようやく着いたベースから壁を偵察すると予想外にコンディションがわるかったりする。
あらゆる歯車が噛み合わないなかでの挑戦。
実際にやった人ならわかるけれどリスクの高い登攀を前に、すべての条件が揃ったところでなかなか出発できない。
これらすべては大石くんのパンドラ登攀に対するモチベーションの高さ。
そしてあらためておもったのは、出会った人によってその人というものがつくられてゆくのかもしれない。
昨夜、読み終えた本。
『山を歩く、魂が還る』(矢作直樹著)
加齢により体力が低下したとき、どのようにして登山と関わっていけばいいのか。
ある年齢に達すれば誰もが直面する。
(ワシは六十歳過ぎてもピンピンしとるいう人って、もともと体力を使うような山に行っていない)
この本を読んでゆくと、体力の低下=(イコール)失うとはならないようだ。
肩の力を抜いて、はじめて見えてくる光景がある。
ゆっくり歩いてみて、はじめて気づくことがたくさんある。
もしかしたら、体力的に山が歩けなくなってからはじめて出会える世界というものもあるのかもしれない。
◇
それにしても無理のない歩みを意識して、これだけ歩けてしまうのはやはりスゴい。
著者の還暦以降の主な山行。
・2021年3月10日〜27日(18日間)、三伏峠〜小河内岳〜荒川岳〜赤石岳〜聖岳〜茶臼岳
・2022年3月12日〜22日(11日間)、三伏峠〜塩見岳〜仙塩尾根〜北岳
・2023年3月11日〜22日(12日間)、農鳥岳〜北岳〜仙塩尾根〜仙丈ヶ岳
・2025年3月17日〜4月10日(25日間)、光岳〜茶臼岳〜聖岳〜赤石岳〜荒川岳〜三伏峠〜塩見岳〜北岳
いずれも単独。
2026.4.15 20:32 [
山 未分類 本]
昨夜、読み終えた本。
『山と友 Ⅲ 第一巻 山 東京大学運動会スキー山岳部百周年記念誌』(東京大学山の会編)
(何年か前に届いてようやく読んだ)
大正時代より令和まで、百年間の部の活動。
なによりも時代の変化にいちはやく対応している。
昭和の時代の大学山岳部って伝統遵守で、新しいことをなかなか受け入れない傾向があった。
たしかに明確な課題があるときは考え方を固めたほうが効率的だけれど、課題が見えなくなったとたん行き詰まる。
やはり発想の転換はだいじだ。
・冬の前穂高岳北尾根に1000メートルのロープをフィックス。
→安全が確保できれば技術や経験の不足をカバーできる。1、2年生も山頂に立つことが可能になる。
・シブリン北稜の難しい岩稜で難しい箇所では登山靴から運動靴(クライミングシューズが出まわっていないころは運動靴だった)に履き替える。
→雪さえ付いていなければヒマラヤだろうが冬壁だろうが、登山靴で登ることはない。安全かつ速さ。雪も氷も付着していないのに登山靴にアイゼンじゃないとダメ、と融通の効かない人が多い。
ほかにも昭和の時代は多くの大学山岳部で消極的だったフリークライミングや冬壁を積極的に取り入れ、難峰といわれるシブリン北稜(初登)やK7(初登)へとつながってゆく。
大学山岳部にかぎらずに行き詰まるときって、だいたい思考の凝り固まりが原因のようだ。
その凝り固まりから解き放たれるには、やっぱりめっちゃ頭を使う。
昨夜、読み終えた本。
『ナルコトラフィコ』(丸山ゴンザレス著)
麻薬カルテル(麻薬の製造、密売、売り買いを行う武装犯罪組織)のビジネスの仕組みと全体像を南米から中米を経て北米まで取材。
ときには密造潜水艦で麻薬を運ぶ。
丸山ゴンザレスは、裏社会ジャーナリストとして「クレイジージャーニー」に何度も出演している。
麻薬ビジネスの世界では、いつ死んでもおかしくないといわれている。
それを追う者は、さらに死の確率が高くならないか。
取材過程で死の不安をかんじないのか。
著者は、特徴ある容姿だから狙いやすい。
危機に瀕する場面は多々あるものの、文章は淡々としている。
(経験による対策は怠っていないけれど)
もしかしたら丸山ゴンザレスの死の不安をかんじる限界点は、すくなくともオイラのような凡人なんかよりも遥かに高いのではないだろうか。