昨夜読んだ本。
『東大なんか入らなきゃよかった』(池田渓著)
東大を出たけれど卒業後うまくいかなかった(ようにみえる)人たち5人にインタビュー。
かんじたこと以下。
・どうしても選択しなかったほうの道には、楽天的に期待をいだいてしまったりする。
→この本に登場する人たちが、もし東大にいかなかったらやっぱり後悔したのではないか。
・東大卒業後しばらくうまくいっていないというけれど、一時的なものではないか。
→頂点をきわめた人だから落ちる可能性も高くなる。落ちたあと浮上して、さらに高みへゆくポテンシャルも大きい。だいたい上に登れない人は落ちるチャンスすらない。
・東大は人生の幸福を約束してくれないって帯の裏にあるけれど。
→どんな道にすすもうが長い目で見たら順風満帆な人生なんてない。
・やっぱり東大に入ってよかったのではないか。
→ペーパー試験に強いということは、ほかの分野に転向するのに有利。選択の幅がひろい。
この本にある東大を自身の若いときにやってみたかった何かに置き換えて考えてみると、なんだかんだいってもその道でよかったとおもえるのではないか。
まわり道が近道だったりする。ムダとおもえることに価値があったりもする。
昨夜読んだ本。
『アグルーカの行方』(角幡唯介著)
(10年ぶりの再読)
19世紀のカナダ北極圏で北西航路を探索したすえに129人全員が遭難死(?)したイギリスの探検隊の足跡を辿るべく、2011年3月~7月にレゾリュートからベイカーレイクまで1600キロを歩いた記録。
前回(1回め)読んだときはオイラも冬のカナダを旅していて、北極圏の踏破や動物や食糧や装備ばかりに目がいってしまい、肝心のジョン・フランクリン隊長殿率いるイギリス隊の行動は読み飛ばした(超もったえねえ(笑))。
今回あらためてフランクリン隊長殿らの北西航路の探索やその前後の記録を読んだら、これがめっちゃおもしろい。
たとえばトレイルだって一朝一夕に開通するわけではない。
先住民の狩猟や交易など長い歴史が積み重なって道ができる。
北西航路も世界情勢という背景のもとに、探検家たちが試行錯誤したすえに見いだした。
登山史の編纂にときたま首をつっこむオイラ、航海史だっておもしろくないはずがない。
身体の故障がもっとヤバくなったら、オイラがこれまで訪れたカナダの土地にまつわる歴史的な背景をいろいろ調べてみるのもいいかもしれない。
昨夜読み終えた本。
『完全なる白銀』(岩井圭也著)
冬のデナリの頂に女性登山家が向かうという山岳小説。
解説に栗秋正寿さん(1972年生まれ。1998年3月デナリ冬季単独第4登。冬のアラスカの山で過ごした日数846日。マジメだがお笑いキャラでもある)の名前を見て、直感的にビビっときた。
そして期待を裏切らなかった。
一気読みできるけれど、読み終えるのがもったいなくてわざと1週間かけて少しずつ読んだ。
登山行為そのものよりも、なぜこの山に向かうのかという心理描写とその背景がなによりもおもしろい。
昨夜読んだ本。
『スピードツーリング 山岳アスリート藤川健の半生と記録』(横尾絢子著)
山岳スキー競技選手による積雪季長期スピード縦走の実践。
オイラはスキー滑走にもレースにもまったく興味ないけれど、長い縦走には思い入れが深い。
藤川健の主なニンゲン離れした縦走記録をいくつか。
・2014年9月1日~10月3日
日本百名山連続踏破(33日間)
・2016年5月15日
十勝・大雪1day縦走(60キロ、所要13時間22分)
・2017年5月4日
日本オートルート(立山・室堂~上高地)1day縦走(70キロ、所要20時間7分)
かんじたこといくつか。
・てっきり子どものころからスポーツ万能かとおもいきやそうでもなかったようだ。
→高校生のときに「どうせなら得意なことより、自分ができないことをやろう」と。こうした発想こそ才能ではないか。ほめられたからやる人って、けなされるとすぐ挫折する(笑)
・現在アラフィフだが、体力の低下にはさほど悩まされていないようだ(すくなくともオイラにはそう読みとれる)。
→もしかしたらこれまでアスリートとして活動してきたなかで、身体に対するケアがしぜんに身についたのだろうか。詳細は不明だけれど、ムダに精神主義にかたむいていないのはたしか。
・山屋出身でないからこそ、凝り固まりがなく合理的な発想ができて、結果的にスピードや安全にむすびついている。
→山屋だと新たな発想に対してふつうはそうしませんと後ろ向きになってしまう。
ところで山屋にとって山岳アスリートの世界では、もはや出番はないのだろうか(笑)
昨夜読んだ本。
『君はなぜ北極を歩かないのか』(荻田泰永著)
(一気読み)
・2019年4月7日~5月5日(29日間)
カナダ北極圏をスキーにソリを引いて600km踏破。
極地冒険家の著者と同行カメラマンをのぞく12人の参加メンバーの平均年齢23歳。
参加メンバーは、テント泊やスキーなどアウトドア経験ほとんどなし。
著名な高峰登山のように強靭な体力と明晰な頭脳とホスピタリティあふれるガイドやシェルパといった「アウトドア介護士」はいない。
自分のテントも日数分の食糧もぜんぶ自分らで運ぶ。
なぜ未経験者(著者とカメラマンをのぞく)が、厳しい行程を完遂したのか。
12名の参加メンバーに焦点をしぼって考えてみた。
まずカナダ北部の自然条件は特殊だ。日本で似たところはない。
たとえば厳冬の八甲田山で100日間過ごしたところで、その経験はカナダ北部ではほとんど役に立たない。
日本の冬山の経験が役に立たないというのは、自身がはじめて厳冬カナダ北部を旅したときに痛感した。
日本の冬山とカナダ北部では自然条件の厳しさのベクトルがちがう。
(冬のカナダ・ロッキー山脈とカナダ北部とでもまた異なる)
現地のことは現地ですこしずつ習得するのがいちばんの近道。
この本の遠征は、ぶっつけ本番ではない。
はじめに冬の北海道で実技。つぎに彼の地に飛んでから出発前にプチ遠征、と着実にステップを踏む。
何度もレクチャーをくり返す。20年間極地に通いつづけた著者の経験を伝授する。
さて参加メンバーの未経験さも追い風になったのではないか。
たしかに経験はリスクを軽減し進歩発展の土台となる。いっぽうで経験はときにムダなプライドを生み、新しい技術や知識を受け入れることを妨げる。
この遠征では未経験というハンディを、実践で使える技術や知識を積極的に吸収する、という有利な方向に転化させたのではないか。
その結果、参加メンバー全員が「一つのゴールとは、一つの喪失でもある」(本文より)という言葉に到達した。
昨夜読んだ本。
『山岳王 望月将悟』(松田珠子著)
皮肉なことだけれど、青春をかけて山一筋に取り組んできた山屋よりも登山以外のスポーツに入れこんでから登山の世界に移行してきた人のほうが、登山の世界において突出した記録を打ち立てていたりする。
望月将悟も山屋出身ではなくランナー出身である。
過酷な山岳レースにおいて、なぜ山屋の出番がなくなってしまったのだろうかと考えることによって、山屋の欠点が見えてくるかもしれない。
登山における標準タイムや標準装備という既成概念をひとつずつとってみても、個人の進歩のうえで大きな妨げになっていないだろうか。
「タイムなんてあとからついてくるものだから、どうでもいいと思っています」(本文より)