
きのう読んだ(読み終えた)本。
『アローン・オン・ザ・ウォール』(アレックス・オノルド著)
究極のフリーソロ(ロープなしで登る。堕ちたら死ぬ)クライマーの軌跡。
読めば読むほど、凹むし激しい劣等感につつまれる。
だってこの著者のやってること、どう考えてもマネできない。
反復練習をくり返してコツコツやれば、大器晩成という言葉があるという人もいるかもしれない。
でもそういっている人って、時間とお金さえかければ誰でも到達可能な狭い世界しか知らなかったりする。
他人は他人、自分は自分、っていう人もいるかもしれない。
でもそういっている人って、自分のまわりに突出した優秀な人が居らず毒にも薬にもならない輩に囲まれているだけだったりする。
「オメーがやってんのなんか、クライミングでも何でもねえ。そんなの岩に触れたうちにも入らねえ! すこしは頭を冷やせ!!」
ページをめくるごとに、自分がそう罵倒されてるようだ。
仕方ないよな。
柔軟性をはじめとした身体能力、恐怖の克服の仕方、まわりが何といおうが突き進めるモチベーション、、、
どれをとっても、自分がやってることなんてしょせんはそのていどにすぎないのだから。
自分にはクライミングの才能が皆無だと二十歳のころに悟ったけど、この本を読んであらためて才能のなさが決定的なものになった。
まあ人生において「気づき」はたいせつだ。
自分には手が届かないと現実を受け入れることによって、こんどはちがう可能性の扉がひらくということだってあるのだからね。
ただ、、、
過ぎてしまった過去に対して、もし何々だったらできたかもしれない、というのはあり得ないことだし言ってもいけないことである。
それでもあえて問うてみたい。
もしクライミングの才能のなさに気づくのにもうすこし遅かったら、もしかしたら行動半径ももうすこしひろがっていたような気がする。
気づかないというのも、ある種の才能なのかな、、、

死のリスクがないものは冒険ではないだろう。
死のリスクと対峙するからこそ、「自分はいま、たしかに生きている」という手応えを実感する。
そして生はよりいっそう輝く。
でもやはりリスクと真摯に対峙する人といえども、あまりはやく逝ってほしくないものだ。
*
昨夜1年ぶりに『アルピニズムと死』(山野井泰史著)を再読して、あらためてそうおもった。

きのう読んだ本。
『江田島海軍兵学校』(徳川宗英著)
海軍兵学校とは士官を養成する学校で、東大並みの難関校であった。イギリスのダートマス、アメリカのアナポリスと並ぶ世界三大兵学校と称された――なんて薀蓄はオイラにとってどうでもええ。
もっとも印象に残ったのは、兵学校出身者の戦死率。
たとえば昭和14年から16年までの卒業生は、いずれの期も6割以上が戦死している。
「残ったのはクズばかり、死んだ奴らのほうが優秀」
これって山とか冒険の世界でもよくいわれる。
ホンマモンの天才やったら生と死とのギリギリまで行って、なおかつ成果を出して生還する。
でも「リスクとまともに対峙」すれば、たいていの人は即あの世行きというのが現状や。
もちろん死んだから偉いっていっとるわけじゃないよ。
なんだかんだいうても、生きていてナンボやからな。
でもやっぱり「残ったのはクズばかり、死んだ奴らのほうが優秀」というのは頭の片隅にでも置いておきたいね。
そうしねえととんでもなく勘違いしたクソオヤジへと墜ちてゆくだけだぜ。
あっ、また本の内容から脱線しちゃったかな。でもそれがこの本を読んであらためて思ったことだよ!!
きのう読んだ本。
『医学部の大罪』(和田秀樹著)
医者(クリニック院長)であり教授(臨床心理)でありたくさんの本を書いているこの著者の見た、医学部をふくめた医学界の暴露本。
医学も科学(化学?)も、オイラにはチンプンカンプンでようわからん。
でも同業者が不利になること(つまりほんとうのこと)を言ってしまうと、その世界からバッシング(あんなのデマカセやと言われたり黙殺されたり)されるという話はおもろいな。
これって医学界にかぎらずどこの世界でもあるけど、この本はより具体的でわかりやすい。
ついでにその世界だけで凝り固まった閉鎖的でドロドロした人間模様(傍から見ればどうでもええやんかっていうレベルの)こそが諸悪の根源っていうのも、これまたどこの世界でもありそう。
この本の帯には「テレビの大罪」「東大の大罪」に続く「大罪」シリーズ第三弾ってあるけど、大罪シリーズはまだまだいくらでもできそうだね!
ヒトも社会もこうしてみると超おもしれ~!!