「台風と戯れる」というタイトルの文章を書いたよ。
自然の猛威ーー各地に大きな被害をもたらした台風21号ーーに肉迫して、なにを感じたかどう思ったかについて綴ってみた。
8月の龍王岳南壁で起きたこと。
何をやったかではなく、どう感じたかについて綴ってみた。
書評を書いた。
『山登り12カ月』(四角友里著)
この著者は、アウトドアスタイル・クリエイターであり「山スカート」の火つけ役でもある。
これまで書評といえば冒険モノか登攀モノばかりだったけれど、どうして山ガールのカリスマ(?)であり登山の初心者を対象にしたこの本とかかわることになったのか。
仕事と割りきって書いたわけではもちろんない。
この本の文章のなかに共感するところが少なからずあったからだ。
自分の冬壁とか冬の長期縦走をちょびっとだけ触れている。
そのあたりのことも絡めて書いてみたのが今回の書評だ。
掲載誌はこちら。
http://www.yamakei.co.jp/products/2818901001.html
きのう読んだ本。
『ある世捨て人の物語 誰にも知られず森で27年間暮らした男』
アメリカ東海岸北部のメイン州(だいたいニューヨークのすこし北、モントリオールのすこし東)の森に27年間隠れ住んでいた男を取材したルポ。
冬にこのちかくまで行ったことあるけど、ヘタするとマイナス30度くらいまで下がる。
誰とも接することなくひたすらテント生活。
ソローの『森の生活 ウォールデン』を思い浮かべるだろう。
(ソローは小屋だけど、やはりアメリカ東海岸北部のマサチューセッツ州)
ソローは本を出版(インタビューされたのではなく自分で書いた)したわけで、あたりまえっちゃあたりまえだけど外の世界とパイプがある。
まあソローにかぎらず一匹狼とか孤高の人とかは、なんだかんだいって人とも社会とも繋がっているし自分をアピールすることに関しては案外ふつうの人よりうまかったりする。
それに対してこの本の男は27年間、社会とのパイプがまるでない。
興味をひいたのは長年の森の暮らしにおける精神状態である。
森で何をやったのか世間に理解してもらわなくてもかまわない。理解されるためにやったわけではない。
目標も目的も理想も、もはや存在しない。
何々のためにといった理由づけなど不要。
自己表現の必要もない。
永遠の現在にただ存在した。
ただそこにいる。それだけなのだ。
なんだか拍子抜けした感じがしないでもない。
だって何かをやるにあたって、どうしてもその先に何かを期待してしまうから。
究極の悟りとは、悟ることが何もなくなることなのかもしれない。
「ねえ、山小屋ってどんなところ?」
「実績も実力もないクソ・ガイドやクソ・オヤジどもが、酒飲んで大ボラ吹くところだよ(笑)」
『紛争地の看護師』(白川優子著)
国境なき医師団の看護師としてイラク、シリア、パレスチナ、南スーダン、イエメンなど8年間で17回。
いずれも過酷な医療現場ばかり。
それにしてもよく精神も身体ももつものだ。
それにしてもよく途中で投げ出さずにやってこれたものだ。
もっと楽な生き方だってあるんじゃないの?
それに引きかえ自分はこれまでいったい何をやっていたのだろうか。
自分にはいったい何ができるのだろうか。
登山もクライミングも冒険も命がかかっとるいうけれど、しょせんはごっこの域を出ない平和ボケした遊びに過ぎなくねえ?
この著者の訴えようとしている激戦地における悲惨な現状よりも、なぜかそんなことばかり思ってしまった。
誕生日のつぎの日に読んだ一冊。