きのう読んだ本。 『ある世捨て人の物語 誰にも知られず森で27年間暮らした男』 アメリカ東海岸北部のメイン州(だいたいニューヨークのすこし北、モントリオールのすこし東)の森に27年間隠れ住んでいた男を取材したルポ。 冬にこのちかくまで行ったことあるけど、ヘタするとマイナス30度くらいまで下がる。 誰とも接することなくひたすらテント生活。 ソローの『森の生活 ウォールデン』を思い浮かべるだろう。 (ソローは小屋だけど、やはりアメリカ東海岸北部のマサチューセッツ州) ソローは本を出版(インタビューされたのではなく自分で書いた)したわけで、あたりまえっちゃあたりまえだけど外の世界とパイプがある。 まあソローにかぎらず一匹狼とか孤高の人とかは、なんだかんだいって人とも社会とも繋がっているし自分をアピールすることに関しては案外ふつうの人よりうまかったりする。 それに対してこの本の男は27年間、社会とのパイプがまるでない。 興味をひいたのは長年の森の暮らしにおける精神状態である。 森で何をやったのか世間に理解してもらわなくてもかまわない。理解されるためにやったわけではない。 目標も目的も理想も、もはや存在しない。 何々のためにといった理由づけなど不要。 自己表現の必要もない。 永遠の現在にただ存在した。 ただそこにいる。それだけなのだ。 なんだか拍子抜けした感じがしないでもない。 だって何かをやるにあたって、どうしてもその先に何かを期待してしまうから。 究極の悟りとは、悟ることが何もなくなることなのかもしれない。