昨夜読んだ本。 『覚悟の力』(宮本祖豊著) 比叡山十二年籠山行の満行者の話。 ここ半月ほどで、千日回峰行、大峯千日回峰行、そして比叡山十二年籠山行と荒行の本をいろいろ読む。 (SNSで紹介した以外にも読んでいる) 以下、荒行全般の印象。 いずれの荒行も「やったやったやりました」といううすっぺらな達成感の話は出てこない。 荒行を終えたからといって、空が飛べるようになるわけでもなければ超能力が身につくわけでもない。 声を大にして人生哲学を語るわけでもなければ、いきなり教祖になるわけでもない。 長い年月をかけて成し遂げたのだから、その体験を生かして何かしなければといったとらわれもかんじられない。 荒行を終えてからも、日々の暮らしのなかで行はつづいている。 求めていたものが遥か彼方ではなく身近なところにあったことに気づいたりする。 人はしょせん自然の猛威にはかなわない。人は生かされている。 得たものは何かという月並みな問いは適切ではないかもしれないが、ちいさな気づきではないだろうか。 長い年月と修行の積み重ねを経てようやくたどり着いたちいさな気づき。だからこそ、そこには深い意味が生まれる。 もしかしたらそのちいさな気づきの価値は当事者にしかわからないものなのかもしれない。 荒行において達成も身体を酷使することも手段であって目的ではない。荒行の目的は、自分自身を掘り下げていって悟りにちかづいてゆくこと。