きょう読んだ本。
(20年以上ぶりに再読)
『みかん畑に帰りたかった 北極点単独徒歩日本人初到達・河野兵市の冒険』(埜口保男著)
2001年5月、北極海で氷が割れて死亡した冒険家・河野兵市のはなし。
河野兵市の冒険の足跡はネットでいくらでも出てくるから略。
本腰入れて冒険やるなら、プロがいいのか。
サポートしてくれる人や企業があらわれても趣味のままのほうがいいのか。
どちらがいいのかは、本人にしかわからないだろう。
これから本腰入れた冒険を志しているけれどプロかアマか悩んでいる若手には、いろいろと参考になりそうなはなしだよ。
そして冒険を別の何か、つまり情熱の対象に置き換えてもおなじことがいえるのではないか。
「なあ、河野、よ。またあのころに、帰りてえなあ」(本文より)
きのう読んだ本。
『凍える海 極寒を24ヶ月間生き抜いた男たち』(ヴァレリアン・アルバーノフ著)
舞台は北極海。
氷に閉ざされて動けなくなった船から、ソリとカヤックにテントや食糧を積んで北極海から陸地をめざす生還劇。
食糧は途中で尽きる。
シロクマを撃って食糧にしたりアザラシの脂を燃料にしたり。
いまから百年以上前、GPSどころか現代のような詳細な地図もない時代。
船から脱出した仲間たちも途中で離ればなれになる。
果たして無事に安全圏までたどり着けるのだろうか。
壮絶な生還劇になるほど、結末はいっこうにみえてこないものだ。
夏の縦走って、トレイル・ランナーによって従来ならあり得ないスピード記録がうちたてられている。
残雪季の縦走も、山岳スキー競技選手によって驚異的なスピード記録がつくられとる。
登山の表舞台において、山屋の出番がどんどんなくなりつつある(笑)
厳冬季の長期の縦走ではまだまだアスリートより山屋が活躍しとるけれど、そのうち千日回峰達成者がとてつもない記録を打ち立てる可能性はじゅうぶんに考えられる。
登山の可能性をひろげるヒントって、登山以外のところにたくさんころがっていたりする。
山や旅に思い入れの深いオ自分の本棚が、山や旅と関連のうすい本で埋っている理由もそんなところにあるのかもしれない。
昨夜読んだ本。
『東大なんか入らなきゃよかった』(池田渓著)
東大を出たけれど卒業後うまくいかなかった(ようにみえる)人たち5人にインタビュー。
かんじたこと以下。
・どうしても選択しなかったほうの道には、楽天的に期待をいだいてしまったりする。
→この本に登場する人たちが、もし東大にいかなかったらやっぱり後悔したのではないか。
・東大卒業後しばらくうまくいっていないというけれど、一時的なものではないか。
→頂点をきわめた人だから落ちる可能性も高くなる。落ちたあと浮上して、さらに高みへゆくポテンシャルも大きい。だいたい上に登れない人は落ちるチャンスすらない。
・東大は人生の幸福を約束してくれないって帯の裏にあるけれど。
→どんな道にすすもうが長い目で見たら順風満帆な人生なんてない。
・やっぱり東大に入ってよかったのではないか。
→ペーパー試験に強いということは、ほかの分野に転向するのに有利。選択の幅がひろい。
この本にある東大を自身の若いときにやってみたかった何かに置き換えて考えてみると、なんだかんだいってもその道でよかったとおもえるのではないか。
まわり道が近道だったりする。ムダとおもえることに価値があったりもする。
昨夜読んだ本。
『アグルーカの行方』(角幡唯介著)
(10年ぶりの再読)
19世紀のカナダ北極圏で北西航路を探索したすえに129人全員が遭難死(?)したイギリスの探検隊の足跡を辿るべく、2011年3月~7月にレゾリュートからベイカーレイクまで1600キロを歩いた記録。
前回(1回め)読んだときはオイラも冬のカナダを旅していて、北極圏の踏破や動物や食糧や装備ばかりに目がいってしまい、肝心のジョン・フランクリン隊長殿率いるイギリス隊の行動は読み飛ばした(超もったえねえ(笑))。
今回あらためてフランクリン隊長殿らの北西航路の探索やその前後の記録を読んだら、これがめっちゃおもしろい。
たとえばトレイルだって一朝一夕に開通するわけではない。
先住民の狩猟や交易など長い歴史が積み重なって道ができる。
北西航路も世界情勢という背景のもとに、探検家たちが試行錯誤したすえに見いだした。
登山史の編纂にときたま首をつっこむオイラ、航海史だっておもしろくないはずがない。
身体の故障がもっとヤバくなったら、オイラがこれまで訪れたカナダの土地にまつわる歴史的な背景をいろいろ調べてみるのもいいかもしれない。