昨夜読んだ本。
『世にも美しき数学者たちの日常』(二宮敦人著)
気鋭の数学者たちにインタビューしたもの。
オイラは数学のことなどさっぱりわからんけど、それでもなんだか言わんとすることがわかりそうな気がした。
読みはじめたら予想どおり。
すくなくとも山小屋とかで会う自称・山のベテランさんや旅先のゲストハウスとかで見かける自称・旅のツワモノたちよりも、この本に登場する数学者たちのほうが遥かに話が通じそうだ。
彼らの数学を自分のやっている山や旅に置き換えてみると、なぜかピタリと意味が通じてしまった。
「数学は何かのために作ったわけじゃないですよ。心の赴くままにやったものなんです」
→気がついたらやっていた。なぜ?に対する理由なんて後付けにすぎないのだろう。
「おそらくですね、数学の定理を作るって、努力したからできるものじゃないんです。天性のものだと思います」
→死にもの狂いで努力しただけでは不十分。なおかつ直感や閃きといった嗅覚のようなものがないと大成しない。ときには才能のない自分という現実をも受け入れていかざるを得ないシビアな世界ということだろう。
「山を見た時、あ、これなら登れるなとピンとくる。そういう感覚と同じかもしれません。実際に登れるかは、やってみないとわからない部分もある。数学が美しいという感覚は、そこなんじゃないか」
→できるかできないか偏差値的(科学的?)な判断ではなく、直感的なものがきわめて大きいということだろう。
なおこの本の数学とは、試験で点数をとるためのものではない。
宇宙とは何かといった疑問を解決するための手段のひとつとして数学というものを捉えている。
やっぱり植村直己に憧れて山とか冒険とかやってるんですか?
そう問うてくるのってすごく浅くねえ。
もちろん植村直己に憧れる人が多のはたしかだけど。
植村直己だけじゃないから。
医学部に進学した人に、野口英世の伝記を読んだのがきっかけですかっていちいち訊くようなもんだろう。
なんでもかんでも誰でも知ってるような著名人に絡めねえでほしいなッ!!
すこし前に読んだ本。
『考える脚 北極冒険家が考える、リスクとカネと歩くこと』(荻田泰永著)
この著者の足跡はいまさら語ることもないけど、ざっと触れてみる。
2000年より北極圏各地を15回(現在進行形を入れたら16回)、9000キロ以上を氷雪の上をソリを引いて歩いている。
2018年、南極点に無補給単独到達。
いまの極地冒険家の第一人者である。
さてこの本だけでなく、この著者の文章に「根拠のない自信」というのが何度か出てくる。
ちなみに根拠のある自信とは、それなりに実績や実力をつけたうえでようやく得られる自信とでも定義すればいいのだろうか。
根拠のある自信とは、よく考えてみればあたりまえっちゃあたりまえだ。
それなりに時間とエネルギーを費やして準備をすれば、それなりの自信は得られる。
根拠のない自信とは、経験も実力もともなわないけれど直感的に自分にはできそうだと思い込むことであろう。
なんとなくイメージしてみると成功した自分がそこにいる。
ところが根拠のない自信は、ときにやっかいでもある。
事情に少しだけ明るい人からのツッコミがしばしば入ったりする。
しかし根拠のない自信は、そんな雑音などスルーしてしまう。
たぶん根拠のない自信にはとてつもないポテンシャルがあるのだろう。
「たいして実力も実績もないくせに、アイツいったい何寝言いっとるんやッ!!」
事情に少しだけ明るい人は、しばしば頭ごなしに叩き潰そうとしたりする。
根拠のない自信を持っている人って、もしかしたら飲んだ席でのみ勇猛果敢にふるまうクソオヤジみてえに典型的な大ホラ吹きなのかもしれない。
でももしかしたら大衆を感動させたり事情に少しだけ明るい輩を脱帽させたりするくらいの大きなことをやってしまうのかもしれない。
じつをいうと自分のなかでも過去に根拠のない自信によって成功したことが何度かあった。
すこし前に読んだ本。
『リヤカー引いてアフリカ縦断』(吉田正仁著)
たとえばどこでもいいから国道を1日40キロ歩いてみる。
できれば真夏日とかを選んでやってみる。
おそらく何割かの人は歩きはじめてすぐにギブアップするだろうし、何割かの人は歩けてもそれだけでお腹いっぱいになるだろう。
翌日もまたおなじことをやろうという体力と気力が残っている人はきわめて少ないだろう。
そんなふうにイメージしてみるとこの本の旅の厳しさがつかめる。
エジプト、スーダン、エチオピア、ケニア、ウガンダ、タンザニア、ザンビア、ジンバブエ・ボツワナ、南アフリカ。
アフリカ大陸を北から南へ歩いて縦断。
所要316日、距離1万1000キロ。
気温プラス50度、暑さよりも鬱陶しくつきまとう現地の人、そして強盗。
旅は艱難辛苦の連続たけれど、文章は思いのほかあっさりしている。
水平の旅の紀行にありがちなやたら興奮しすぎているシーンがさしてない。
なんでやねん。
必要以上に他者に認めてもらいたいという欲求がないからないのかもしれない。
この著者は自分らしい旅を淡々とつづけてゆく。
だから旅の終わり方もあっさりしている。
ひとつが終ってもすぐに次が見えてくる人は必然的にそうなるのかもしれない。
ひたすら目指してきた喜望峰は、辿り着いた瞬間に目的地から通過点へと変わっていった。
すこし前に読んだ本。
『天才と発達障害』(岩波明著)
短所は長所であり、長所はまた短所でもある。
たとえば「計画性のなさ」は「臨機応変」でもある。
そう考えてみるとかなりの人がそれぞれの才能を持っているといえなくもない。
ではなぜそうした人たちは世に出てこないのかな。
やはり日本社会においては正しい正しくないにかかわらず、異端なものは抹殺するからだろうか。
中途半端なヘタレの意見など潔く切り捨てて己の勘のみを信じて前へ前へ。
そういう凄まじい行動力と執念がないことには、長所をのばすことなどできないのが現状なのかもしれない。
なにか大きなことをやる際に問われるのは、反復練習によって培われる細かな技法だろうか、それとも行動力や集中力だろうか。
この本の狙いとはちがうことばかり考えてしまった。