8月の龍王岳南壁で起きたこと。
何をやったかではなく、どう感じたかについて綴ってみた。
クラブ・ポリニエの木村道成さんの追悼を書いた。
(4月上旬に伊豆でシーカヤックの最中に事故死)
今のクライマーにはあまりピンとこないかな。
どういうクライマーで、どういう登攀スタイルやったのか。
全天候型クライマー、飲んだ席で熱く語るだけでなく行動する、、、
一言で表現するのは難しい。
詳細は本文を読んでみてくだされ!!
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以下は主な登攀記録。
・1979年3月7日
芦別岳夫婦岩北西壁・ダイレクトルート(積雪期初登)
同行者:門田宣久(酪農学園大学山岳部)
岩と雪68(79年6月号)P20「クロニクル」
・1980年9月21日~23日
越後駒ガ岳佐梨川金山沢・家ノ串尾根側壁(初登)
家ノ串尾根側壁とは、金山沢奥壁と赤岩にはさまれたスラブ状壁。
同行者:辻川妙子(無所属)
岩と雪80(81年4月号)P18「クロニクル」
・1981年12月28日~82年1月4日
屏風岩右岩壁・ルンゼ状スラブ~前穂高岳北尾根~北穂高岳滝谷ドーム西壁・雲表ルート~涸沢岳西尾根下降
同行者:神田智、長田保博(クラブポリニエ)
クライミングジャーナル2(82年7月号)P17「クロニクル」
・1982年12月30日~83年1月5日
屏風岩右岩壁・ポリニエルート(積雪期初登、初登)
ベルグラや凍結した草付のダブルアックス主体に一部人工を含むルート。極地法で開拓。
同行者:横川幸司、三浦記章、木浪晋、長田保博、保正博(クラブ・ポリニエ)
クライミングジャーナル5(83年4月号)P20「クライミングレポート」
・1983年5月1日~6月30日
インドヒマラヤ、ガンゴトリ山群、テレイサガール(6904m)北壁(試登)
同行者:横川幸司、水間正、三浦紀章、保正博、木浪晋(クラブ・ポリニエ)
http://www.yamakei.co.jp/products/2818906243.html
超スゲー記録だ。
厳冬・日本海親不知から西穂高岳へ、デポなし・単独縦走、27日間。
どれだけスゲーかというと、、、
夏の日本海親不知から西穂高岳へは、体力・技術・精神力・判断力がなくても暇さえあれば、すでに毎夏何人もの人たちが成功している。
それにたいして厳冬の日本海親不知から西穂高岳へは、体力・技術・精神力・判断力が日本でも数指に入るような人が全身全霊で取り組んでも断念している。
そのくらいの難しさといえば、わかりやすいかな。
昨今のメディアを賑わしとる暇さえあればヘタレでもできてしまう歩き旅や自転車旅とは、根本的に次元がちがうでござる。
そんなかんじのひさびさに骨のある記録。
https://www.ei-publishing.co.jp/magazines/detail/wilderness-b-446311/
今夏は、おなじところに40泊以上した。
ずっと居ても、けっして飽きることはない。
自然は生きている。
繊細に刻々と変化してゆく。
2つとおなじ顔はない。
長く居るからこそ、五感はより研ぎ澄まされて自然のわずかな変化により繊細になってゆくのだろうか。
もっと長く滞在してみたら自分の感性はどう変化してゆくのだろうか。
もうすこし秋が深まるまで滞在してみるのはどうだろうか。
あるいはもっと欲張って冬がはじまるまでとか。
思いきって越冬はどうだろうか。
いまいろいろな思いが頭のなかを交錯している。