自分で異端児っていっている人って、たいてい主流派なんだよな(笑)
よくまわり道をしたことを後悔したりする。
いっぽうでまわり道をしたからこそ悔いがなかったりもする。
十代からやりたいことやってきた自分に、五十代後半になっていまさらつぎなにやりたいですかなんて訊かないでくれよな。
やりたいことがあるなら体力気力のある若いころのほうが可能性あるっていう前提をどうとらえとるんやろなぁ。
やればできるっていっている人って、たいてい受け身型の努力をつづけていればいつか辿り着く、というところで夢の世界に引きこもってしまっている。
自分の行動なり考え方なりに対して、誰かがイメージできてしまった時点でもはや冒険は成り立たない、、
という視点は、やっぱり持っていたほうがいいよな、、
昨夜、一気に読んだ本。
『太平洋漂流実験』(斉藤実著)
ひさびさに強烈な読後感。
自分が山や旅に出てリスクと対峙することに対して、訊かれてもっとも不快な言葉にどうしてそこまでするのかというのがある。
それでも、、
この著者はゴムボートによる漂流実験で台風に遭遇して生と死の分岐点からギリギリ生還しながらも、どうしてふたたび海に向かうのだろうか。
きっとその人の行動のなかには、それまでの人生のなかで出会った人やできごとを通して生まれた疑問や違和感などすべてが凝縮されている。
「いっそ、わが手で命をちぢめ、苦しみから早く解放された方がいい。私はシーナイフをノドもとにおしあてた」