『八甲田山死の彷徨』についておもう。
ガチガチなくせにいざとなると使い物にならない(判断を誤る)上官のおかげで、無駄死を強いられたといえなくもない。
上官とは現場にはいなかったけれど直属の上司もふくめて。
このはなしは、冬の八甲田山という場所にもかぎらないし軍隊という組織にもかぎらない。そして明治という時代にもかぎらない。
もしかしたらいまもどこかでおなじことが起きているかもしれない。
風雪の津軽のテントのなかで読んだ本。
『春に散る 』(沢木耕太郎著)
ボクシングには縁がないどころか、ボクシングをテーマにした本を手にするのもはじめて。
それでも上下巻900頁余を一気に読んだ。
ストイックなボクサーの生きざまを描いた小説。
試合で殴られまくり、失明の危惧にさらされながらも、前へ前へ。
いったいなぜ、そこまで。
光を失う恐怖はないのか。
そもそも何をめざしているのだろう。
世界チャンピオン獲得といった名声ではなく、内面的な世界を模索しているのか。
でも、見えなくなってもいいんです。この眼は、あの試合で、見たいものを見ましたから。
もしかしたら何かを失ってみじめに見えるようでいて、じつは何かを獲得して静かに満たされているのかもしれない。
完全燃焼という言葉は、すがすがしい。そして、おそろしくもある。
今回の津軽は終始体調がよくなくて、一週間ほとんど動けないまま終る。
でも行ってよかった。
悪天候のなか、そのときそこに居ないと見えない光景に出会えたから。
昨夜読んだ本。
『人はどう死ぬのか』(久坂部羊著)
数々の人たちの最期を見届けてきた医師が綴ったもの。
死ぬかと思ったという体験は何度でもできるけれど死際というのは一度しか体験できない。
死際こそ、たくさんの気づきがあるのではないか。
その人の初見における度胸が試されるのかもしれない。
自分は天才などともてはやされたけれどただ他人より多く練習しただけで特別なニンゲンではなかった、などあらゆる現実との対峙。
死際こそ人生の集大成かもしれない。
苦しみたくないと思っている人ほど苦しむ。
12月中旬に疲れからか体調不良に陥り、年末年始の山旅はどうなってしまうのかと焦る。
もともと故障だらけの身体は加齢ともあいまって、さらに悪化の一途を辿る。
でもクリスマス寒波は、上越のびしょびしょ雪と戯れることができた。
新春寒波は、津軽の風雪とホワイトアウトを連日満喫する。
出発ぎりぎりまで逡巡していたけれど、やっぱり行ってよかった。
余はそこそこ満足じゃ。
◇
この写真は、津軽の最終日の夜明け前の吹雪。
埋もれかけているテント。