今夏は、おなじところに40泊以上した。
ずっと居ても、けっして飽きることはない。
自然は生きている。
繊細に刻々と変化してゆく。
2つとおなじ顔はない。
長く居るからこそ、五感はより研ぎ澄まされて自然のわずかな変化により繊細になってゆくのだろうか。
もっと長く滞在してみたら自分の感性はどう変化してゆくのだろうか。
もうすこし秋が深まるまで滞在してみるのはどうだろうか。
あるいはもっと欲張って冬がはじまるまでとか。
思いきって越冬はどうだろうか。
いまいろいろな思いが頭のなかを交錯している。
台風直撃のときの登山は避けるべき。
記録的短時間大雨のときの行動など言語道断である。
たしかにそうだ。
でも現場の生の空気に触れたうえでそうコメントしている人は、果たしてどのくらいいるのだろうか。
情報なんてしょせんは机上の空論だ。
あるいは情報とは、事実からあまりにも遠く離れてしまったもの。
だから他人の助言に耳を傾ける気がしない。
とりわけ中途ハンパな勉強や中途ハンパな経験しかないような輩の言葉は、バッサリ切り捨てたほうがうまくいったりする。
あやふやな言葉や数値に惑わされるくらいなら、直観を頼りにきめたほうがマシ。
で、現場でヤバイと思ったら、余計なことはごちゃごちゃ考えないで潔く中止すればいい。
⚫噛み合わない会話の例・その1
「山はもう長くやられているんですか?」
「いや山を完全にやめてからずいぶん長いよ。だって才能なきゃいくら努力しても時間とエネルギーのムダだからね。やればできるなんて、神に選ばれたごく一部の才能ある人か、勘違いしとるだけのチンチクリンかのどちらかだから。才能のなさを悟ったらバッサリ切り捨てたほうがいい」
「。。。。。。。(会話が途ぎれる)」
⚫噛み合わない会話の例・その2
「これまでにいちばん難しい山はどこに登りましたか?」
「難しい山は一度も行ったことないよ。だって今の若いクライマーから見たら30年前に成されたことなど、難度的にやったうちにも入らない。難しい山に登りましたと言っているのは、神に選ばれたごく一部の才能ある人か、勘違いしとるだけのチンチクリンかのどちらかだから。現役時代もけっきょくは山には一度も登ることなく終わったよ」
「。。。。。。。(会話が途ぎれる)」
*
もちろんいつもぶっきらぼうに返答しているわけじゃない。
一言のコメントが難しいときも、噛み砕いて丁寧に返答することもある。
ただ、この人にはいくら説明しても伝わらないだろうなと直観的に思ったときは、上記のように返している。
ガチガチに凝り固まってしまった輩には、説明するだけムダ。
きっとご縁がなかったんだよ。
裏を返せば自分がそうされたときは、その真逆ということだ。
だいたい無理に話を合わせたところで、どうせすぐ疎遠になっちゃうからね。
そういえばクライミング・ジムでトークやったのはじめてだった。
これまでのトークのなかでは、まあまあうまく伝えられたような気がする。
たぶん。
なぜかというと質問とトークぜんたいを終えたあとの雑談で、どことなくポイントの伝わり具合というものがあらわれる。
うまく伝わっていないときは、まったくといっていいほど的外れなことを訊いてきたりするから。
質問の内容はしばしば理解度と一致する。
あとほかの人のトークイベントに行ったりすると、質問に見せかけていながらオレがオレがをアピールするようなオレオレ君(実績や実力は低いわりに承認要求は高い)も見かけたりする。
今回、オレオレ君の出没はなかった。
それとトークに退屈してストレッチやったり登りはじめちゃう人がいるかと思ったけれど、写真を見るかぎりいないようだ。
オイラが視聴者だったら、退屈したら迷わずに登っちゃうもんね(笑)
今回、退屈でがまんできない君もいなかった。
いずれにしても表現なんて一個人の価値基準の話にすぎないわけで、無理に押しつけるものではない。
共感したところだけを取り入れて、違和感があるところはスルーしちゃえばいい。
すくなくとも自分が視聴者のときは、トークイベントというものはバイキングでお皿に取るような感覚だととらえている。