昨夜読んだ本。
『山岳王 望月将悟』(松田珠子著)
皮肉なことだけれど、青春をかけて山一筋に取り組んできた山屋よりも登山以外のスポーツに入れこんでから登山の世界に移行してきた人のほうが、登山の世界において突出した記録を打ち立てていたりする。
望月将悟も山屋出身ではなくランナー出身である。
過酷な山岳レースにおいて、なぜ山屋の出番がなくなってしまったのだろうかと考えることによって、山屋の欠点が見えてくるかもしれない。
登山における標準タイムや標準装備という既成概念をひとつずつとってみても、個人の進歩のうえで大きな妨げになっていないだろうか。
「タイムなんてあとからついてくるものだから、どうでもいいと思っています」(本文より)
30年ぶりか40年ぶりかで来た。
若いころロープなしで登っていた自分が信じられない。
2年ぶりに腰のレントゲン。
前回は腰の捻挫。
で、今回は腰椎側弯症。
ブロック注射は効かないみたい。
手術するレベルではないみたい。
しばらく安静にしとるしかないみたい。
昨夜読んだ本。
(一気読み)
『「幸せ」を背負って 積雪期単独 北海道分水嶺縦断記』(野村良太著)
行動の概要は以下。
・2022年2月26日~4月29日(63日間)
宗谷岬~パンケ山~咲来峠~函岳~シアッシリ山~美深峠~ピヤシリ山~天北峠~ウェシリ岳~天塩岳~浮島峠~チトカウニシ山~北見峠~石北峠~石狩岳~ヒサゴ沼~トムラウシ山~佐幌山荘~狩勝峠~日勝峠~芽室岳~カムイ岳~コイカクシュ札内岳~ペテガリ岳~神威岳~トヨニ岳~楽古岳~襟裳岬
距離670キロの北海道分水嶺の単独踏破。
ピヤシリ山避難小屋(210キロ地点)、天塩岳避難小屋(314キロ地点)、ヒサゴ沼(424キロ地点)、佐幌山荘(481キロ地点)の4カ所にデポ。
佐幌山荘までスキー、日高山脈はスノーシュー使用。
途中ストックが破損したり、テントポールが紛失したりする。またデポした食糧がネズミに荒らされ、破損や紛失した装備や食糧の補給を受ける。
まず長期戦になるほど、トラブルは頻発する。なかなか計画どおりにはいかない。むしろたいてい計画どおりにならない。
単独行におけるサポートはどこまで許容されるのか。
もちろんそのような定義はないものの、多くの単独行者は思い悩む。
でもトラブルがあったときにサポートしてくれる仲間がいるのはすばらしいではないか。
トラブルがなくても何かあれば誰かがきっとサポートしてくれるとおもうだけでも心強い。
人から離れて行動するからこそ、ふだんにも増して人の温かさに触れることができる。
この北海道分水嶺縦断は2つの記録がある。
・1975年3月~1992年2月、工藤英一が15回に分割して延べ130日間で踏破。
・1993年12月~94年6月、ジャイアント・ロボ(志水哲也)がワン・シーズン(12回に分割して)で行った。
いずれも『北の分水嶺を歩く』(工藤英一著)、『果てしなき山稜』(ジャイアント・ロボ(志水哲也)著)と本になっている。
時代背景が異なるし、なによりも三人それぞれキャラも異なるので、読みくらべるのもなかなかおもしろい。
ところで本のタイトルにある「幸せ」とは何か。気になる。
それをいってしまうとネタバレになってしまう。
でもオイラもまた幸せを背負って歩いてきたのだろう。きっと多くの単独行者も幸せを背負って歩いている。
やっぱり自分のやっとる山や旅が、一般大衆に受け入れられてしまったら成り立たなくなるよな。
いっぽうで自分のやっとる山や旅が、誰からも共感されなくなってもこれまた成り立たなくなるだろうな。
そんな微妙な立ち位置が好き。
昨夜読んだ本。
(ひさびさに再読)
『日本登山大系 南アルプス』
南アルプスは甲斐駒ヶ岳の岩壁の登攀を除けば1回しか行ったことがない。
中学生のときの夏、ひとりでテントで甲斐駒ヶ岳から聖岳までの縦走。
縦走そのものは歩けば目的地に着く。
登山道を行くだけで道に迷うことはない。
むずかしさはない。
(昨今のYouTubeやSNSが大げさすぎる)
その縦走で印象深かったのは、南アルプス南部(静岡県北部)。
林道の長さ、人里までの遠さ、つまり「山の奥深さ」だった。
三十代のころ、冬のカナダのロッキー山脈の長期縦走をテーマにとりくんでいたときも、アプローチの長い、つまり林道の長いコースどりをしぜんに選択していた。
五十代後半になった最近は、やっていることはスゴいわりに一般的に知られていない登山家の足跡を調べている。
南アルプス南部(静岡県北部)を舞台に、ボリュームある記録がいくつかある。
代表的なものに、、
ウェットスーツ製の渓流足袋をかつぎ上げ厳冬の大井川源流の沢登り。アプローチの長さから1本の沢だけで10日から2週間費やす。
ほかにもいろいろあるが諸事情により割愛。
中学生のときの数日間の体験が「山の奥深さ」というひとつのキーワードとして、自身の登山の価値基準となって定着しちゃったのかもしれない。
本を読み返しながらそんなことをおもった。