昨夜、読み終えた本。
『虚ろな革命家たち 連合赤軍 森恒夫の足跡をたどって』(佐賀旭著)
連合赤軍最高幹部、榛名山の山岳アジトにおける同志殺害事件の主犯。
連合赤軍のほかのメンバーの永田洋子、坂口弘、植垣康博は獄中手記を出版している。
森恒夫は逮捕後に東京拘置所で自殺したので、詳細な軌跡を追った書籍がこれまでになかった。
ところで、なぜオイラがラディカルな思想の持ち主の書籍を選ぶのか。
暴力による革命の是非はさておき。
社会性云々をバッサリ切り捨てて己の理念にすべてを賭けた狂気に、どこか惹かれるからだ。
極限に対峙する志気は、一部の芸術家にも通づる。
オイラの登山も旅もどうあがいても、狂気の産物と揶揄される領域までは踏み込むことができなかった。
昨夜はThe Tribで小松由佳さんのトークイベント。
(K2(8611m)日本人女性初登頂。第23回開高健ノンフィクション賞受賞)
「K2から草原、砂漠へ。人間の土地へ」
これまであまり語られてこなかった登攀から旅へ、そして写真の世界に入ったはなし。
たしかにヒマラヤの氷壁登攀とアジアの遊牧民の暮らしはむすびつかない。
しかし登攀もアジアの旅もシリア内戦取材も、舞台が変わっただけで自身のなかでは好奇心の赴くままに未知の世界を歩きつづけているのだ。これからも歩きつづける。
1963年8月に谷川岳一ノ倉沢衝立岩のダイレクトカンテを初登した東京都立大学山岳部の川副博司のはなしを思い出した。
登攀は学生時代でひと区切りつけたのち、研究の分野にすすむ。
未知の領域への挑戦という意味では、岩場のルート開拓も最先端の研究も意識はおなじではないか。ただ取り組む問題が異なるだけだ、と。
昨夜読んだ本。
『親友は山に消えた』(小林元喜著)
山岳やアドベンチャー・レースのカメラマンとして活躍した平賀淳。
2022年、アラスカのデナリ国立公園で撮影中にクレバスに転落死。享年43。
この本は、平賀と幼なじみだった著者による人物ルポ。
平賀淳には一度だけ会ったことがある。
(某山麓で某番組の裏方をやったとき。班は別の班)
共通の知人がいることが会話のきっかけで、平賀が一方的にしゃべりまくった。
おそらく1分に満たなかったけれど、印象は強烈。
ヘンなヤツだった。
でも不快なかんじはない。アジアの安宿のドミトリーにたむろしていそうな、おもしろそうなヤツ。
見た目はそこそこインド人。
この本を読むにしたがって平賀が見えてきた。
・エピソードに事欠かない酒癖の悪さ。
・電話魔。
・計画性のない実行力。
そして、俺は俺にしかできない仕事をしたい、と。
あっ、やっぱり。おもろいヤツだったんだな、、
さてこの本のさいごに著者が平賀淳の転落したデナリの氷河に立つシーンは、感動的だった。泣ける(泣かなかったけど)。
大学山岳部が低迷化の時代といわれようが、登れる若手の大半がフリークライミングに向かおうが、部員減少で部員ひとりになろうが、冬の長い縦走をやる大学山岳部はあるのだな。
やる人って時代に関係ないのがおもしろい。
できなかった人が自身の情熱や実力のなさを自覚せず、時代のせいにするのはさらにおもしろい。
自殺云々を語る人に死ぬ気になれば何でもできるでしょう、という者がいる。
そういっている人のできるって、登山や旅でいったらツアーが出ているレベルに留まる。
死ぬ気でやれば何でもできるといっている人で、冬の奥鐘山西壁のAAVKや冬でなくてもマカルー西壁にトライした者は少なくともまわりにはいないな。
解決可能な領域しか体験せずに、軽々しくポジティブな発言しないでほしい。
昨夜のThe Tribeでのトークイベント「長期間&長距離 登山家列伝 第4回目 冬季黒部横断30回・剱の怪人 和田城志」だよ。
和田城志の第一線で活躍していた期間は長い。学生時代から四十代後半まで雪の剱岳や黒部、ヒマラヤの登攀を実践。五十代、六十代は長期(1〜3カ月)の歩き旅、七十代はヨット旅。
十代、二十代で「力のかぎり登ろうぜっ!」と熱く語る人はすくなくないけれど、5年、10年すると「オトナになりなよ、、」に変ってしまう。あらためて和田城志の持つエネルギーをかんじた。
また雪の剱・黒部の登攀史を編纂した実績もひじょうに大きい。先人の足跡があってこそ、現在の先鋭的なクライミングはある。
今回の告知文や雪の剱・黒部の記録整理の一部は、暖房の効いた図書館などではふさわしくないとおもい今季最強の寒波がやってきた青森のドカ雪のなかテントを張ってやった。
【和田城志(わだ せいし)|1949年(昭和24年)、高知県香南市生まれ】
豊かな自然につつまれた南国土佐で育つ。少年時代より海辺で野宿や焚き火をして過ごす。高校時代、四国の三嶺で初めての雪山を経験。大学山岳部で本格的登山をはじめる。大阪市立大学工学部応用物理学科中退。
冬の黒部横断、トライ30回、成功15回。主な記録に83年鹿島槍〜十字峡〜剱沢大滝(積雪季第2登)〜剱岳八ツ峰北面滝ノ稜(積雪季初登)、93年鹿島槍〜十字峡〜黒部別山トサカ尾根東北支稜(積雪季初登)〜剱岳八ツ峰北面菱ノ稜(積雪季初登)。
78年ランタン・リルン(7245m)南東面(初登)、84年カンチェンジュンガ(初縦走)、85年マッシャブルム(7821m)北西壁(初登)。ナンガ・パルバット(8125m)、トライ3回。
五十代半ばよりヨット旅や長期の歩き旅をはじめる。2012年と13年には合計5カ月間、徒歩によるネパール全山群東から西まで横断。近年はヨットで北前船航路を辿る。野宿しながら昭和のかおり残る飲み屋をめぐる自転車旅も好き。
著書に『剱沢幻視行 山恋いの記』(東京新聞刊)。大阪市立大学山岳会、サンナビキ同人。