昨夜読んだ本。 『日航123便 墜落の新事実』(青山透子著) 1985年夏の御巣鷹山の日航機墜落の真相を追ったノンフィクション。 多くの資料や証言をもとに隠された事実をつぎからつぎへとあばいてゆく。 じつは事故ではなく事件であった。 (その事故(事件?)が何であったかはこの本に詳しく書かれている) 一般的に流れている情報と事実との激しい食い違いは、なにもこの事故にかぎった話ではないだろう。 自分のなかでは日航機墜落の新事実云々よりも、なぜ情報と事実との食い違いか生じてしまうのかに興味が移った。 多くの人たちはメディア側の不勉強だと責任転換してしまうけれど、むしろメディア側の流す情報を安易に鵜呑みにしてしまう一般大衆こそが誤った情報をより拡散させているのではないだろうか。 情報を受けとるときにはつねにそういうことを意識したい。 この本の狙いとはぜんぜんちがうことを綴ってしまったけれど、この本を読みながらそんなことを思った。 社会ってたくさんの膜によって覆われているのかな。