きのうの「雪山登山、30年間をふり返って」のトークイベントに来てくれたみなさん、ありがとうございました。
遠路はるばる関西方面からも静岡方面からも新幹線や高速バスでわざわざ。
お土産物や差し入れ、海の冒険家の手作り餃子やカルボラーナ、ガンジー・シスターズの教祖の手作りダル(豆)・カリー、そして大好きな図書券まで。
タイトルの雪山登山の30年はさしてふり返ることもなく、そのまま懇親会のようなものに入ってしまったけど、みなさんそれぞれお楽しんでもらえたとおもう。
人に背を向けることが出発点になっている自分の行動や考え方になぜか人が集まるというのは、すごく矛盾しているようにも思われるかもしれないけど現実はいつも矛盾だらけのなかにあるものだ。
理屈なんかよりも目の前のことを楽しめればそれでいい。
イベントに来てくれる人たちがどんな人たちなのかは、あいかわらず一貫性がなくて掴めない。
たぶん自分の興味の幅がそのまま反映しているのだろう。
きょう読んだ本。
『極夜行前』(角幡唯介著)
昨年ほぼ同時期に刊行された『極夜行』が本番だとすれば、この本は準備編である。
・2012年11月下旬~13年1月(2カ月)、カナダ北極圏ケンブリッジベイ周辺。
・2014年1月上旬~3月下旬(3カ月)、グリーンランド北極圏シオラパルク周辺。
・2015年3月下旬~10月下旬(7カ月)、グリーンランド北極圏シオラパルク周辺。
これら準備編の旅は出だしから装備の不備やら何やらで、終始歯車が噛み合っていない。
いわゆる出だしこそトラブルつづきだけれどやがて起動に乗って最後は目的地にめでたくゴールするというよくあるパターンとはぜんぜんちがう。
この著者の冒険における実力はいまさら語るまでもなくそろなりに経験を積んでいるけれど、やろうとしていることがあまりにも壮大過ぎてあまりにも前代未聞過ぎる。
こりゃ本番もダメかもしれないとも思えてしまう。
さてこの著者の目的地はあくまでも目安みたいなもの。
極寒で真っ暗闇な厳冬の北極圏における極夜という自然を深く体験することが本命である。
そういったニュアンスのことはこの本に書いてある。
それにしても、この著者をここまで駆り立てたものはいったい何なのだろう。
ここから先は推測になる。
社会的(対外的?)なものはさほど求めていないのではないか。
めざしたのは自分の旅だけ。
何もめざしていないと言えなくもない。
辿ったところには雪原があるだけ。
自然と自分と向き合うこと以外に何もない。
ただ雪原を移動してただ雪原に滞在して。
それがすべてであった。
なぜそんなふうに思えたのか。
自分がここ10年ほどやっている旅がそうだったからである。
一見すると理解不能ともいわれかねない、そんな旅こそがすくなくとも自分にとってはおもしろかったのだ。
先日のトークイベント「厳冬カナダ2万2000キロをふり返って」、こんなかんじだった。
大衆に感動を与えるとか夢を共有するとかそんなぺらっぺらなもののために行動しているわけではもちろんない。
それでも自分の言わんとすることがとりわけ幹の部分がなんとなく伝わるとうれしい。
いっぽうでそういうのはやはり受け入れられない、という拒絶反応もまたあっていいと思う。
その人なりの道を歩けばいい。
人ってみんなちがっていていい。
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詳細はこちら。
山小屋の夜。田中幹也さんの白い世界
書評を書いた。
厳冬の真っ暗闇のグリーンランド北部の80日間のひとり旅を綴った『極夜行』(角幡唯介著)。
事情に明るい人が見ても発想も行動も特化しとる旅だけれど、一般大衆にも共感できるように噛み砕いて書くのがこの著者の手法である。
難解な最先端の化学の研究を、化学反応式を用いずにわかりやすく説明して、なおかつ楽しめるかんじ。
深い行動ができて書けるのが角幡唯介。
そういう本の書評だ。