
きのう読んだ(読み終えた)本。
『アローン・オン・ザ・ウォール』(アレックス・オノルド著)
究極のフリーソロ(ロープなしで登る。堕ちたら死ぬ)クライマーの軌跡。
読めば読むほど、凹むし激しい劣等感につつまれる。
だってこの著者のやってること、どう考えてもマネできない。
反復練習をくり返してコツコツやれば、大器晩成という言葉があるという人もいるかもしれない。
でもそういっている人って、時間とお金さえかければ誰でも到達可能な狭い世界しか知らなかったりする。
他人は他人、自分は自分、っていう人もいるかもしれない。
でもそういっている人って、自分のまわりに突出した優秀な人が居らず毒にも薬にもならない輩に囲まれているだけだったりする。
「オメーがやってんのなんか、クライミングでも何でもねえ。そんなの岩に触れたうちにも入らねえ! すこしは頭を冷やせ!!」
ページをめくるごとに、自分がそう罵倒されてるようだ。
仕方ないよな。
柔軟性をはじめとした身体能力、恐怖の克服の仕方、まわりが何といおうが突き進めるモチベーション、、、
どれをとっても、自分がやってることなんてしょせんはそのていどにすぎないのだから。
自分にはクライミングの才能が皆無だと二十歳のころに悟ったけど、この本を読んであらためて才能のなさが決定的なものになった。
まあ人生において「気づき」はたいせつだ。
自分には手が届かないと現実を受け入れることによって、こんどはちがう可能性の扉がひらくということだってあるのだからね。
ただ、、、
過ぎてしまった過去に対して、もし何々だったらできたかもしれない、というのはあり得ないことだし言ってもいけないことである。
それでもあえて問うてみたい。
もしクライミングの才能のなさに気づくのにもうすこし遅かったら、もしかしたら行動半径ももうすこしひろがっていたような気がする。
気づかないというのも、ある種の才能なのかな、、、
滝のセルフタイマー撮影に挑戦!!

冷たい水しぶきを浴びながらの沢登り、気分は夏休みのプールなのだ。そう期待したけれど、沢も暑かった。暑かった理由のひとつに沢の地形が関係していたようだ。深い峡谷が屈曲しているところだっため、風通しがものすごくわるい。森のなか特有の涼しげな風が味わえないどころか、都心のビル街で感じるねっとりとまとわりつくような重い空気が支配していた。
暑さのために滝のまわりは草ボーボー。滝の登りでも、岩を攀っているんだか、垂直の草と泥と格闘しているんだか。滝を登りきったときには、全身汗だく、全身泥んこ、全身傷だらけ。とにかくバテバテ。迷彩服のヘルメットに銃をかついでいたら、レンジャー部隊の訓練である。快適さからはほど遠い。沢だから涼しいとはかぎらない、とはじっさいに行ってみてわかったこと。
まあ、たまにはこんな日もあるのかな。暑さや湿度をあえて追求する冒険というのもひとつのテーマになりそうだとも思った。猛暑の日を狙って、熱がこもりそうな地形を調べて、低山をめざす。クソ暑い沢のなかでそんなことを思った。