「ねえ、経験者ってどういう人たちのこと?」
「頭が固くって新しい試みに対する臆病者のことだよ(笑)」
先日(2019年3月13日)放送のクレイジージャーニーの詳細。
書評を書いた。
『失われた、自然を読む力』(トリスタン・グーリー著)
自分が山に行くときにGPSは持っていかないし地図やコンパスも必要以上には取り出さない。
おおざっぱな地形を頭に入れたらもっぱら勘を頼りに歩いている。
これまでそんなふうによく答えていたけれど、この本を読み終えてじつは経験に基づく知識や法則によるものであったことに気づいた。
たとえばこんなこと。
ホワイトアウトの山で地図やGPSに頼らずにおよその標高を知ることができた。
その山域の森林限界の標高を知っていれば、まわりの植生態から標高を逆算することができるわけだ。
あるいは目印に乏しい冬のカナダの大雪原ではスノーモービルの跡が頻繁に目につくようになると先住民の村が近づいてきたサインとなった。
ただ現代は地図読みやGPSの使い方が全盛で、自然のなかにあるサインになかなか目が向かないゆえになんとなく勘ですすんでいるだけだと解釈されてしまったようだ。
もちろん勘による部分もなくはないが、そう多くはなさそうだ。
もしかしたら経験に基づく知識や法則が、知らないうちにほかの人たちよりも多いのかもしれない。
この本は本格的な登山や冒険のためのサバイバル本ではなく、自然のなかを散策しながら自然からのサインを見つけ出してそれを手がかりに方角や位置を知るというひとつのゲームとして楽しむものである。
詳細はこちら。
https://www.yamakei.co.jp/products/2818901008.html
『「承認欲求」の呪縛』(太田肇著)
たとえばテストで良い点をとったとする。
教師もまわりもなんとなく期待する。
それをきっかけに期待に応えようと、以前にも増して頑張るようになって成績も徐々にのびてゆく。
しかしやがてスランプがやってくる。
これだけがんばったのにどうして結果がともなわないのだろう。
いつしか教師もまわりもかつてほど期待はしなくなる。
ある意味でそれがその人の真の実力だったのかもしれない。
ところがその人にとっては、一度得た評価をそうそう簡単には捨てられない。
いや、こんなはずやない。
成績が下がりはじめても幻影にも似たかつての評価にしがみつく。
その先はやればやるほどドツボにハマる。
以上はあくまでたとえ話。
でも似たような話はだれもが経験したり聞いたりしたことがあるだろう。
承認されることによって、どんどん力がのびる。
承認されなくなることによって、どんどん精神的に不安定になってゆく。
この本は、著名人の自殺や犯罪を例にして承認されることによる光と陰についてかたっている。
承認されることはそれなりに必要だけれど、いっぽうでほどほどにせいということか。
よく失敗して自殺するなんて技能的には長けていたのかもしれないけれど人間的には未熟であった。
そうコメントする輩ってけっきょくは失って困らないていどのものしか手にしたことがないんじゃないか。
何かに取りつかれるなりのめり込むなりして、気がついたら取り返しのつかないところまで突き進んでしまった。
そういう境地に達するのも、もしかしたらその人にとっては幸せだったのではないだろうか。
幸せだったか幸せではなかったか、それだけはたとえ学者であってもはかることはむずかしいのではないか。
きっと本人にしかわからないのではないか。