7月1日(水)の「新潟日報」朝刊に、新潟市のスタジアム、ビッグスワンでの作業風景が掲載された。
きのう読んだ本。
『女帝 小池百合子』(石井妙子著)
政治のことも選挙のこともぜんぜんわからんけん。
それでも上昇志向の影と光についてはひじょうにわかりやすい。
良いか悪いかはさておき。
岩を登り込むのは嫌だけれど、著名な登山家になりたい。
死の危険にさらされるのはまっぴらゴメンだけれど、冒険家として名を馳せたい。
あるいは若いころに山の実績はほとんどないにもかかわらず「俺が俺が」と突っ走るクソ・ガイドになりたい。
そんな実態のないはりぼてのような世界を生きたいあるゆるジャンルの人にとって、この本はよき指南になりそうだ。
口八丁手八丁で他人を押し退けてのしあがってゆくのは、なにも小池百合子だけの話ではない。
政治の世界は大なり小なり、平気ではったりができないと生き残るのが難しそうだ。
話は少し飛ぶ。
数学のことはチンプンカンプンだけれど数学者の考えていることには、なんとなく迫れそうな気がする。
もしかしたら数学者と話が合うんじゃないかって言われたこともある。
でも政治家とはどうやら接点が見いだせない(笑)
ただ上昇志向の強すぎる人とは、距離を置いたほうがいいかな。
政治家にかぎらずに登山家でも冒険家でも何でも大ホラを吹いてのしあがろうとする人って、もしかしたらそう生きざるを得ないような環境しか与えられていなかったのではないか、とも思った。
遠藤甲太の追悼文を書いた。
(じつはこのGW中に亡くなった)
どんな人なのか。
70年代の冬の谷川岳一ノ倉沢のルンゼ登攀、頸城・海谷山塊のルート開拓、ラトック1峰初登攀、登攀史研究執筆、そして近年はヤマケイ本誌の読者紀行の選考、、、
といったことはすくなくとも自分にとってはどうでもいい。
まず山や登攀の好みが似ていた。
2、3年で結果の出る記録よりも、何をめざしているのかすらわからないような、行動者自身が迷いながらも前へ前へみたいな一行で表現できないような山や登攀。
自分が冬のカナダの旅に通いはじめたころ、自然条件の厳しいフィールドを舞台に沢木耕太郎の『深夜特急』のような放浪の旅ができないか模索していた。
関心を示す人が皆無だったなかで、遠藤甲太は「いいですねぇ」と興味津々だった。
そもそもなぜ生きるのかすら明確に答えられないのに、目標だのゴールだの軽すぎる、みたいな話をよくした。
何もわかっちゃいないヘタレから自殺志願者といわれようが、真摯に取り組むからには死をも受け入れる必要がある。
いっぽうで堕落にも似たぐうたらな旅も大好き。
その振り幅のひろさがおもしろい。
そうした会話がごくしぜんにできる人だった。
◇
詳細は、
https://www.yamakei.co.jp/products/2820906270.html
夏には行けるようになるといいな。
もちろん騒動がおさまらなくても麓から歩いていくことはできる。
でもそういう問題じゃない。
自身のなかで大きな違和感を抱えたまま山に行っても楽しくない。
今後どうなるかわからないけど、行けるようになるという前提で考えていきたいな。
何度も訪れている場所でも、きっとこれまでとはちがった印象が残るだろう。
冬の剱岳北方稜線の登攀史をすこし書いた。
「ROCK & SNOW」(87号)
埋もれはじめている登攀史がたくさんあるけれど、なんらかの機会に小出しでもいいからすこしずつ紹介していきたい。
いつの時代も目立つ記録と内容の濃い記録とのあいだには深い溝がみられる。