垂直の世界で活躍する人たちって、壁を見あげたときにワクワク感につつまれている。
でも自分は、大岩壁を前にしてワクワクしたことがなかった。
谷川岳の一ノ倉沢、黒部の岩壁、欧州アルプス、ヨセミテのエルキャピタン、、
威圧感あるのみ。
いつかきっと、、
そう期待して本チャン・ルート200本ちかく登攀したけれど、ワクワク感に出会うことはなかった。
垂直の世界は、生理的に合わなかったのかもしれない。
30歳からはじめた水平の旅では、頻繁にワクワク感を感じている。
カナディアン・ロッキーを麓から見あげたとき、カナダ中央平原に立ったとき、風雪の津軽の山にむかうとき、、
登れなくっても充実する。
ただそこにいるだけでいい。
無理して垂直の世界にしがみつかなくてよかったな、ってつくづくおもう。
雨の日には、雨の日にしか見れない光景がある。
そこで見ることができる光景は、その日そのときにしか見ることができない。
映画『アルピニスト』を観てきたよ。
いろいろ書くとネタバレになっちゃうけど、、
とにかく個人的には終わりかたがよかったな、、
(↑もしかしたらネタバレか(笑))
はじめて漫画を買ったかも(笑)
『アルパインクライマー 単独登攀者・山野井泰史の軌跡』
いきなりフリーソロの墜落シーンではじまる。
(鋸山をフリーソロして8メートル墜落して全身打撲)
でも落ちない人って上手くもならない。
難しくてリスクのあるルート(課題)に挑むから落ちる。
簡単で安全なルート(課題)ばかりやっていてもなかなか落ちない。
ケガが多い=(イコール)無謀だの何も考えてない、って受け止められてしまうけれど。
むしろケガが多い=(イコール)より高きより困難に取り組んだ、って解釈したほうがしっくりくることもあったりする。
ちなみにオイラも高校3年間をふり返ってみると、かんたんなフリーソロや谷川岳一ノ倉沢をひとりで登っていたけれどケガもなければ落ちたこともなかった。
裏を返せば、やればできてしまいそうなルート(課題)しかトライしなかったからであろう。
失敗って、とりわけ大失敗ってネガティブなイメージで捉えられてしまうけれど、もっと建設的に考えてもいいとおもう。

KODAK Digital Still Camera
きのうはいろいろな人たちから誕生日祝いありがとね。
気がついたら57歳。
・毎年のようにおなじことおもうけれど、まさかこの歳まで生きているとはおもわなかった。
・以前にくらべると、何かに取り組むときに焦りをかんじることが減ったことにすこし焦りをかんじたりもする。
・若いときにくらべると山も旅もぜんぜん難しくないしリスクのないものばかりだけれど、山や旅をしていて「やっぱり来てよかった」という満足度が年々増している。
・何かをめざしているわけではないけれど、思いつきは大事にしたい。
・ちっこくまとまるくらいなら一生何も完成しなくってもいい。
◇
この写真は今年1月の寒波襲来の八甲田山。
こんなことんしばらくつづけていきたい。
高校生だったころ(80年代前半)、たいていの山岳会は看板掲げているだけで実践がともなっていなかった。
ということを高校生のときに一時期山岳会に属してみてわかった。
そのころにある人から聞いた、看板掲げているだけで実践しないのは組織やコミュニティのひとつの側面でもあるという言葉はいまでも印象に残っている。
山岳会がどうこうという小局的なはなしではなく、どんなものにも良いところと良くないところが混在しているということだ。
実際ほとんど活躍せずたまに集まって飲んだくれるだけの山岳会だって、居心地はいいし気の許せる仲間に恵まれたとうはなしもたくさん聞いた。