今週読んだ本。
『天路の旅人』(沢木耕太郎著)
戦中戦後にかけて8年間、内モンゴル~青海省~チベット~インドを密偵と巡礼をした西川一三を追ったルポ。
自由な人だなぁ、って思った。
密偵や巡礼が、ではない。
日本に帰国して数年かけて『秘境西域八年の潜行』を書き終えると、いつまでも「チベットの西川です」などと引きずらず、あとは晩年まで東北の盛岡で化粧品店の店主としてコツコツと働くという道をたどる。
自由とはフリーランスやアウトローや流浪の旅人になるだけではない。
必要以上に過去の業績にとらわれることなく、どの方向にもすすめることこそが自由だともいえる。
この本を読むとわかるけれど、この主人公の西川一三は表舞台よりもむしろ地味に暮らすほうが居心地が良かったのではないだろうか。
せっかくあれだけのことを成し遂げたのだからもっと社会に還元したいもっと有名にならないともったいない、といった欲はときに枷(かせ)にもなり得る。
風雪の津軽のテントのなかで読んだ本。
『春に散る 』(沢木耕太郎著)
ボクシングには縁がないどころか、ボクシングをテーマにした本を手にするのもはじめて。
それでも上下巻900頁余を一気に読んだ。
ストイックなボクサーの生きざまを描いた小説。
試合で殴られまくり、失明の危惧にさらされながらも、前へ前へ。
いったいなぜ、そこまで。
光を失う恐怖はないのか。
そもそも何をめざしているのだろう。
世界チャンピオン獲得といった名声ではなく、内面的な世界を模索しているのか。
でも、見えなくなってもいいんです。この眼は、あの試合で、見たいものを見ましたから。
もしかしたら何かを失ってみじめに見えるようでいて、じつは何かを獲得して静かに満たされているのかもしれない。
今回の津軽は終始体調がよくなくて、一週間ほとんど動けないまま終る。
でも行ってよかった。
悪天候のなか、そのときそこに居ないと見えない光景に出会えたから。
昨夜読んだ本。
『人はどう死ぬのか』(久坂部羊著)
数々の人たちの最期を見届けてきた医師が綴ったもの。
死ぬかと思ったという体験は何度でもできるけれど死際というのは一度しか体験できない。
死際こそ、たくさんの気づきがあるのではないか。
その人の初見における度胸が試されるのかもしれない。
自分は天才などともてはやされたけれどただ他人より多く練習しただけで特別なニンゲンではなかった、などあらゆる現実との対峙。
死際こそ人生の集大成かもしれない。
苦しみたくないと思っている人ほど苦しむ。
12月中旬に疲れからか体調不良に陥り、年末年始の山旅はどうなってしまうのかと焦る。
もともと故障だらけの身体は加齢ともあいまって、さらに悪化の一途を辿る。
でもクリスマス寒波は、上越のびしょびしょ雪と戯れることができた。
新春寒波は、津軽の風雪とホワイトアウトを連日満喫する。
出発ぎりぎりまで逡巡していたけれど、やっぱり行ってよかった。
余はそこそこ満足じゃ。
◇
この写真は、津軽の最終日の夜明け前の吹雪。
埋もれかけているテント。
とりあえず、あけおめだよ。
体調良くなくて新年のネタがないから会社の年賀状。
昨夏のオイラの江ノ島の灯台の塗装作業だよ。