2002年 冬季カナディアン・ロッキー南部単独縦走1200km
カナダ・ロッキー山脈のファーニからジャスパー間1200kmを山スキー単独縦走
積雪季におけるカナダ・ロッキー山脈縦走としては、史上最長記録となった
果てしなき雪原
寒い季節になるとカナダに出かける、というのがここ数年のパターンである。極北の地を自転車で走ったり、山スキーを履いて雪山を歩いたり、あるいはモチベーションのないときは町はずれに雪洞を掘って長期滞在した。
2002年の冬は、カナディアン・ロッキー南部を5カ月かけて山スキーで縦走した。東京から九州と同じくらいの距離である。厳冬季には麓の町でも氷点下30度Cを下まわった。
こう言うと、なんだか大がかりな冒険旅行にでも行ってきたように聞こえてしまう。しかし、大きなタイトルほど内容がともなっていないのが世の常である。今回のカナダ行もまた例外ではない。5カ月ぶっ通しで補給なしで歩いたわけでは、もちろんない。こま切れ縦走である。1回につき2週間分の食料・燃料、冬山用具一式、スキーなどを担いで入山。食料がなくなるたびに下山して町で補給という方法をくり返した。食料調達のために里へ下りる、と言いたいところだが、これも補足したい。町での準備は4日もあれば足りるが、悪天を理由にずるずるとすごしてしまうのが、私のいつものパターンだ。大それた計画でも何でもないのである。
カナディアン・ロッキーはカナダの大陸分水嶺をなし、南はアメリカの国境から、北はユーコン準州付近までのびている。本州の長さとほぼ同じくらいの距離である。当初の予定では、ひと冬でカナディアン・ロッキーの南端から北端までの2500kmを歩こうと思っていたものの、あとに述べるような事情で南部だけになってしまったのである。
「縦走」という言葉を用いたが、日本で言われる縦走の意味合いとは多少異なる。凍結したクリーク(小川)などの水系沿いに峠を越えながら登下降をくり返してゆくスタイルである。北米では「山スキー縦走」というと大部分はこのスタイルをさしている。稜線を忠実に辿るわけではないので、今回のルートの平均標高は2000~2500mくらいである。日本国内だと上信越や北アルプスの立山から槍ガ岳が、地形的に似ているかもしれない。
静寂につつまれた冬のカナディアン・ロッキーで人に会うのは稀である。ルートにもよるが、すくなくとも今回の縦走においては、入山下山日を除いて人に会わなかった。時期によっては国立公園全体で自分ひとりというときもあった。
冬のカナディアン・ロッキーは内陸にもかかわらず積雪量が非常に多い。ワカンやスノーシューでラッセルしていたら「クレイジー」と言われるくらい雪は深い。厳冬季の谷川岳一ノ倉沢や黒部丸山のアプローチと同じかそれ以上に潜るので、スキーができようができまいが足まわりは山スキーが欲しくなる。移動距離はそのままラッセル距離となる。
移動距離は長いけれどスキー技術は不要だ。全般的に平均斜度がゆるいのと、雪が深いので転倒してもダメージは少ないからである。私のゲレンデ・スキー歴はゼロ。山スキーを履くのは、今回が3回目である。縦走経験もさほど関係ないと思う。国内外を含めて2回しかしたことがない。それでもなんとかなってしまう程度である。
ルートの大半は水系沿いなので、ルートファインディングは簡単である。ルート選びにおいては、つねに「もっとも雪崩の危険の少ないところを通過」という安全指向なので、雪質、雪崩に関する知識もほとんど必要ない。
冬のカナダと聞くと「極寒の地」をイメージする人が多いようだが、気象条件は場所によって大幅に異なる。カナダの面積は日本の27倍。北と南では、東京と赤道くらい離れている。今回歩いたところは、カナダのなかでは比較的温暖な地域である(あくまでカナダとしては)。麓の町でも最低気温が氷点下30度Cを下まわる日もあるが、暖かい日だと1月でも気温はプラスになる。
ルートに関しては細かい計画は立てず、そのときの気象や積雪状況、体調によって考えることにした。沢木耕太郎の『深夜特急』と星野道夫の写真集をミックスしたような気ままなひとり旅と言ったほうがいいかもしれない。いつもの冬のカナダに出かけるようにトレーニングもせず、ザックひとつで成田を飛び立った。
準備がずさんじゃないですか、と横槍を入れられそうだ。しかし、長い時間をかけて地道にトレーニングを重ね、マニュアルを暗証するほど熟読しながらも、同じ失敗を何度もくり返す人をこれまで大勢見てきた。なかには準備に精を出しただけで出発地点にすら立てなかった人もいた。彼らにとって準備とはいったい何を意味したのだろうか。重要な何かが欠けていたことだけはたしかだ。
そもそも、あらかじめできると分かりきっていることをしたところで、感動はないだろう。死んでしまったらおしまいだと言うひともいるが、生きることもなく死ぬこともなくいたずらに歳をとりつづけるだけの人生をおくるくらいならば、たとえ志半ばに倒れても早死にしたほうがマシだ。
大切なのはまず出発することだと思う。あとは流れに身をまかせるしかないだろう。
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2002年1月14日、アメリカの国境から約50kmにあるファーニの町から歩きはじめた。軽量化したとはいえ2週間分の食料・燃料、テント、シュラフ、炊事用具一式、防寒具など冬山用具を詰め込んだザックはずっしりと肩にくいこむ。重荷を担ぐのは3年ぶりである。歩きはじめて1時間ほどで肩が筋肉痛になってしまった。初日からめげてしまった。この調子で半年ちかくも歩けるのだろうかと早くも不安になる。
雪はしんしんと降りつづいた。周囲の木々は、綿菓子のようにふっくらとした雪をまとっている。あたりはひっそりと静まりかえり、落ちてくる雪がジャケットにあたる音だけが聞こえてくる。
このあたりはカナディアン・ロッキーの端にあたる。絵はがきで見るような急峻な岩山や氷河、大きな湖など、いわゆるカナディアン・ロッキーを象徴するような光景はあまりない。大部分が深い森からなり広大な裾野が広がる。起伏は少ないので歩行は楽だが、風の影響は強い。それでも、これまで経験した体感温度氷点下80度Cを記録したカナダ東部ラブラドル半島に比べれば、温室みたいなもの。それに最初の1カ月はウォーミングアップを兼ねて、よりやさしいルート、安全なルートと探しているうちに、8割をロギング・ロード(林道)というコースになってしまった。トレースはないが、ルートは明瞭である。場所によってはスノーモービルの跡がうっすらとついている。地吹雪が激しくなったところでホワイトアウトの心配はない。
クロウスネスト峠、エルクフォード、エルクフォード川、カナナスキス、スプレイ湖をへて400km進み、2月初旬バンフの町に着いた。
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町に滞在中は、何かと雑用に追われる。まず、はじめに荷物整理。行動中びしょびしょに濡れたテントやシュラフを乾かす。ウェアやスパッツなどを含め破損箇所のチェックをすると、次の区間の情報集めにとりかかる。
カナディアン・ロッキーの山スキーガイドブックは現地で何冊か出ている。しかし、いずれも日帰りか1泊2日程度の解説がほとんどで、今回のような長期になると参考になる記述はない。ガイドブックに載っていない情報は、国立公園事務局やインターネットで調べたところでやはり分からない。地形図でイメージするしかない。等高線を読みとりながらおよその距離、標高差、雪質などをつかむ。毎回の行程が2週間前後なので食料をひっくり返しているうちに。あっという間に2日くらいたってしまう。
ルートが決まると次は食料の買い出し。一度に2週間分の食料を購入する。レジで無造作に詰め込むと、90リットルのザックはそれだけでいっぱいになる。食料だけでけっこうな重さである。これを担いで歩くのかと思うと、やはりもう少し食料を削るべきかと悩んでしまう。長期縦走における食料計画には、微妙なかけひきがある。極端に減らせば体力は低下し、持ちすぎればザックが重くなり体力を消耗する。
2週間の入山で持っていくのは、オートミール1.5kg、インスタントラーメン15個、マッシュポテト0.3kg、ティーバッグ40袋、砂糖0.7kg、ビスケット0.9kg、チョコレート0.9kg、ピーナッツ0.5kg。2週間分で6kg程度である。おかげで1回の入山で体重は3、4kg軽くなる。これをストイックと見るかは価値観の問題だろう。約20日間断食(1日200カロリーのみ摂取)しながら南アルプス全山縦走を行った記録もある。その種の山行に比べれば、今回の縦走などグルメツアーみたいなものだろう。
今回の装備類も紹介しておこう。特注品などなく、市販品に手を加えることもせず、そのまま使用した。テントは外張りなしの本体のみ。シュラフはダウンの適合温度・氷点下23度C用。ウェア類は化繊のアンダーウェアに薄手のフリース、中綿なしのゴアテックスジャケットの組み合わせで、ダウンジャケットは持参しなかった。スキー、バインディング、プラスチックブーツ、コンロ、コッヘルなどいずれも日本の冬山に行くときと同じであるが、特別な装備もいくつかある。
山が深いカナディアン・ロッキーは、エスケープがむずかしい。雪は深いのでスキーの故障は致命的である。スキーおよびバインディングの破損に際して、脱出用のスノーシューはつねに持ち歩いた。
野生動物の宝庫でもあるカナディアン・ロッキーでは、危険な動物が少なくない。クマは春先まで冬眠しているが、クーガー、オオカミは一年じゅう行動している。危険な動物対策用にクマ避けスプレイを持参した。日本では馴染みがうすいが、北米ではたいへんポピュラーである。強烈な香辛料エキスで動物の目がいっとき見えなくなるというものだ。
春以降のクマが活動する時期は、テント内に食料を置くことは禁物である。食料はつねにテントから離れたところに置かなくてはならない。食料をクマから守るためにナイロン性の防水バッグも必需品である。
緊急用の無線機はあえて持参しなかった。いざとなったときの後ろ盾があると緊張感がゆるみ、事故につながるように思えたからだ。
軽装すぎるのではという意見もあったが、装備の不備が原因で致命的な結果を招くこともなかったので、大きな選択ミスはなかったと考えてよいだろう。一部のヒマラヤやヨーロッパ・アルプスで活躍する第一線級のアルパイン・クライマーから見れば、装備に頼りすぎといわれるかもしれない。氷点下30度Cを下まわる冬のアイガー北壁をシュラフなしで登っている記録だってあるのだ。高価な装備をそろえたところで、アクシデントに見舞われないという保証はない。装備云々よりもさまざまなトラブルにフレキシブルに対応してゆくことのほうが重要に思う。
バンフの町には6週間滞在した。季節はずれの寒波の襲来で、出発がのびのびになってしまった。3月初旬を過ぎても天候は回復しなかった。いっそのこと今回の計画を放擲してしまおうかとも思った。しかし2500kmの予定が、まだ400kmしか踏破していない。せめて当初の予定の半分くらいを目標に歩きはじめなければ。でも天気予報では雪マークが並んでいる。このぶんならあと1週間は出発できまい。迷いながらも、出発の決断を先のばしにしたままバンフの町にとどまり、その日その日を無為にすごしていた。真冬に出発したはずの季節は、いつの間にか春になろうとしていた。町での滞在が長引くとついつい腰が重くなる。このままずっと悪天候がつづけば行かないですむ、と思うほどモチベーションは低下した。それでも出発したのは、焦燥感という見えないバネにおされたからだろうか。
3月中旬、好天の兆しをついてバンフの町を出発した。出だしから最高のコンディションである。適度にしまった雪に、やわらかな春の日ざし。あわよくば予定よりも早いペースで進めるかもしれない、との憶測はすぐに裏切られた。翌々日から連日のようにストームに見舞われた。ときおり雲の切れ間から一瞬のように陽がさしこんでくるほかは、どんよりとした灰色の雲におおわれていた。
しかし、降りしきる雪もまた善し悪しである。クリークも河原も地つづきの雪原になっている冬は、川の上をそのまま歩くことができる。雪があれば場所を選ばずにどこでも幕営できる。雪のない時期は、近くに水場 のあるところを幕営地としてめざして歩かなくてはならず、知らず知らずのうちにその日の行動を制限される。積雪期であれば、暗くなったところがそのまま宿になる。雪と格闘しながら進んでいるようで、じつは雪と関わりながら旅を続けているのかもしれない。
カスケード川、ウィモアー湖、スノウクリーク・サミット、レッドディアー川、スコキ渓谷、ベイカー湖、レイク・ルイーズ、レイク・オハラをへて400km歩き、4月初旬フィールドの町に着いた。
フィールドから次の目的地ジャスパーの町まで350kmは、途中に町がないので3度に分けて歩いた。食料・燃料がなくなったらハイウェイに下山。ヒッチハイクで町に向かい補給し、元の地点にもどり再び歩きはじめた。
4月の半ばをすぎるとクマたちは冬の眠りからさめる。シーズン最初にクマの足跡を見た日の夜は、クマが襲ってこないだろうかと恐怖につつまれ、いっこうに眠れない。風が木々を揺らす音や、自分のジャケットがテントの布地にふれる音にまで過敏に反応してしまうのもこの時期である。
それでもクマの存在には、助けられることが多い。カナディアン・ロッキー西側は、太平洋に面しているため年間を通して降水量が多い。ヤブ漕ぎにも似た深い森のなかの歩行がつづく。大きなザックを担いでラッセルしながらの歩行は、ザックが木の小枝にひっかかったり、スキーが木の根っこにからまったりで、なかなか前に進ませてくれない。そんなときクマの足跡はよき道しるべになる。野生動物の直感なのだろうか。とにかく動物の足跡を辿ってゆくと、木々と格闘せずにスムーズに進める。なによりもだれもいない山のなかでほかの生きものが先に通ったのだと思うと、妙な安心感があった。
冬の間は雪原と化していた凍結した川や湖は、やわらかな春の日ざしとともに少しずつもとの姿にもどりつつある。気温の上昇する午後の歩行はスリリングである。川や湖を横切るときは、綱渡りのようにバランスを保ちながらそっと足を前に出す。その瞬間ミシッといういやな音がする。不安定なスノーブリッジ状の雪の上でも、クマの足跡 にスキーを重ねてゆくとたいてい持ちこたえてくれた。それでも何度か氷を踏み抜いた。いずれも浅かったので靴が濡れただけですんだ。ぽっかりとあいた穴の下を流れる雪どけの川音を聞いていると、春の知らせのようでなぜか気分がなごんだ。
春の時期にもっとも手を焼いたのは腐った雪である。一度はまると、スキーを履いてもお腹くらいまで沈んだ。湿ったセメントのように重く、一歩進むためにふんばると、もう一方の足が抜けなくなる。強引に抜こうとするとスキーは雪に埋もれたまま、登山靴だけバインディングからはずれる。こうなるとひと仕事である。スコップでスキーを掘り出さなくてはならない。10m進むのに30分も費やす。
それでも特別焦ることはなかった。雪がゆるむのは午後だけである。同じ場所でも午前中いっぱいは、表面がクラストしているので潜らずに進める。トレースのまったくない雪山を夏の縦走よりも速いペースで歩いてゆく。春の訪れと亜ともに日照時間が長くなるので、1日15時間くらい行動できる。出発前のトレーニングなどしなくても、毎日歩いていれば自然と体は慣れてくるものだ。少々悪天候に見舞われようが、雪が深かろうが、厳冬期よりも距離はかせげる。これまでのツケを取りもどすかのように歩きつづける。
北上するにしたがってこれまでの樹林帯から、森林限界より上の雪原の歩行に変わってきた。これまでのように風が吹いても木々のきしむ音は聞こえてこない。雪面にのった雪とも氷とも区別のつかない粒状のものが、風とともに無情に顔面をたたきつけるだけだ。雪、氷、冷えびえとした岩以外のものは見あたらない。ふり返ると広びろとした雪原に自分の足跡だけが、見えないところまでつづいている。
見わたすがきり貸し切り状態である。風のない日は、昼前から大休止をきめこむ。ザックを放り投げて、雪面にテントマットを敷き、コンロをとりだしお茶をわかす。午前中から「午後の紅茶」の気分である。やわらかな春の日ざしと適度な疲労があいまって、いつの間にか心地よい眠りを誘う。寝転がってぼんやりと空を眺めているだけで不思議な充足感につつまれる。「午後になると雪質がゆるみ、雪崩がおきやすくなる」といった山の鉄則など、ふっとんでしまいそうな包容力にも似た大自然のスケールを感じる。悪天候につかまり予定が遅れるたびに悶々としていた日々が、ちっぽけなできごとに思えてくる。これまでの負の思いが帳消しになったとき、旅はひとつの節目にさしかかるのだろうか。
フィールドからアミスクウィ峠、ブラベリー川、ハウズ峠、ハウズ川、サスカチェワン・クロッシング、ノース・サスカチェワン川、ナイジェル峠、ブラゼウ川、ブラゼウ湖、ポボクタン峠、マリーン峠、マリーン湖、スカイライン・トレイルと雪の上を歩きつづけ、5月中旬ジャスパーの町に到着した。
里ではすっかり初夏のかおりがただよっていた。町の広場の芝生では、地元の若者が日光浴をしている。日なたに置いた温度計は30度Cちかくまで上昇している。昨日までの雪山がまるで別世界のようだ。
5月下旬、ジャスパーの町で休養したのち、ふたたび歩きはじめた。しかしどうしたことだろう。気合がまったく入らない。ヒザの炎症ともあいまって、その日のキャンプ地に着くころには、すっかり意気消沈してしまった。これまでなんとか繋ぎとめていたモチベーションは、すっかり周囲の山々に吸収されてしまったような、妙な気分であった。もはや葛藤はなかった。また来ればいい……。
5月28日、当初の予定の半分にも満たないとこころで、積雪期カナディアン・ロッキー縦走は終わった。
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こんな優柔不断な旅でも苦労話だけで塗り固めてしまえば、立派な冒険絵巻がなりたってしまうのだろうか。縦走といえばほとんどカナディアン・ロッキーの経験しかない私にとって、今回の縦走がどの程度の難易度にあたるのか、自分でも分からない。体力的にはオーストラリア大陸自転車横断の百倍くらい大変に感じた反面、死の危険は冬季登攀とは比較にならないほど少ない。気象条件においても過去数回訪れた冬のカナダのなかでは、むしろ楽な部類に入るだろう。
しかしあくまでも自分がそうお感じただけである。どの分野にも共通すると思うが、実力がなければないほど大変に感じるし、また経験が増えればそれだけ感動は薄れていくものだ。これまでにも「こんなマゾ的な旅は二度とごめんだ」とコメントされてちるような旅でも、いざ自分でやってみたらバカンスなみに快適だったことは何度もあった。逆のパターンもまた何度も経験している。感性はつねに客観性を歪めているように思う。
クライミングの世界と異なり、技術よりむしろ自然条件に左右される縦走などの分野では、難易度をグレーディングすることはむずかしい。それゆえ当事者の主観がそのまま難易度に現れてしまうケースが多々見られる。クライミングに比べ自転車や徒歩旅行の冒険ものの記事は、概して誇張が多いように感じられる。
多くの人はジャーナリスト(編集者)の不勉強だと責任転換してしまうが、むしろ一方的に流される情報を安易に鵜呑みにする読者に問題があると思う。自分はこうした状況に風穴をあけるべく、冬のカナダを媒体に表現しようとしているのではないだろうか。
「前人未踏の冒険はなくなった。課題はあらかた解決された」とよく言われる今日だが、発想しだいで「おもしろいテーマ」を見いだすことはできる。冬のカナダといえばアイス・クライミングかゲレンデ・スキーが定番だが、人気エリアから一歩はずれると静寂につつまれた手つかずの自然が、まだまだ広がっている。アクセスも比較的楽で許可などめんどうな手続きもほとんどない。そうしたわけでここ数年、寒い季節になるとしぜんとカナダに足が向いてしまうのである。
今年も、この号が出るころには、ジャスパーにいるだろう。そこをベースに1、2カ月間滞在し「なぜロッキーを歩くのか」じっくり考えたい。移動主体の旅では見えなかった何かをつかめれば、と思っている。
『山と渓谷』2003年3月号に掲載