たとえばこんなはなしがある。 数人のグループで厳しい雪山に行ったさいに、たまたまひとりの人の経験不足と不調で、当初の計画の半分にも満たないところで終った。 すると、すべての敗因をそのひとりのせいにする。 では、その経験不足のひとりがグループに加わらなかったとしたら、当初の計画は果たして成功していたのだろうか。 そのグループじたいが経験不足にもかかわらず、ひとりの人のせいにしてしまったというケースはあり得る。 このあたりは、こまかく調査・分析しないと「真実」にたどり着かない。 昨夜読んだ『八甲田山 消された真実』(伊藤薫著)は、明治35年の八甲田山雪中行軍の大量遭難を過去の資料を丹念に読み込み真実に迫ったもの。 そもそも『八甲田山死の彷徨』の著者・新田次郎は、作家であってノンフィクション・ライターではない。 歴史小説は史実に沿って創作をまじえている。 『八甲田山死の彷徨』の映画も小説もほどよく売れたおかげで、多くの人たちが勘違いするきっかけをつくってしまった。 八甲田山雪中行軍の大量遭難にかぎらずに、真実とはしばしば揉み消されてしまう宿命なのだろうか。 真の敗因はいったい何だったのだろうか。あるいは誰だったのだろうか、、