カナディアン・ロッキー冬季単独縦走
成功とは幸福への入口なのだろうか。それとも不幸のはじまりなのだろうか。成功の喜びはアルコールの酔いに似ている。適量ならば人生の味付けになるが、度を過ぎるとマイナスに作用し、墜ちていった人間を私は今まで何人もみてきた。
*
毎冬、寒い季節になると、冬のカナダ遠征の準備をはじめる。冬のカナダ通いは、かれこれ八回目になる。
なかでも冬のカナディアン・ロッキーは七年連続で通っている。はじめのころから毎冬通い続けようなどと気負っていたわけではない。最初に訪れたときは旅の通過点くらいにしか思っていなかった。せいぜい一カ月もあればじゅうぶんだろうと。それがいつしか、来冬も、来冬も、となって今日に至っている。
一回のカナダ行きがまる一冬を費やすので、いつしか延べ滞在は一〇〇〇日を越え、山スキーや徒歩で踏破した距離は五〇〇〇キロを超えてしまった。内容は以下のとおり。
九五年 冬季カナダ北部 自転車七〇〇〇キロ
九六年 カナディアン・ロッキー中部 徒歩一五〇〇キロ
九七年 冬季カナディアン・ロッキー中部 自転車一五〇〇キロ
九八年 冬季カナディアン・ロッキー中部 山スキー五〇〇キロ
九九年 冬季カナディアン・ロッキー南部 山スキー八〇〇キロ
〇一年 冬季カナダ東部 自転車一二〇〇キロ
冬季カナダ・セルカーク山脈(敗退) 山スキー
以降、冬季カナディアン・ロッキー二二〇〇キロ踏破を目標にする。
〇二年 冬季カナディアン・ロッキー南部~中部 山スキー一二〇〇キロ
〇三年 冬季カナディアン・ロッキー北部を偵察
〇四年 冬季カナディアン・ロッキー北部 山スキー(膝の故障により一〇〇キロ地点で断念)
*
なぜ、これほどハマってしまったのか。はじめの頃は無我夢中で足を運んでいた。これまで国内外の山もたくさん訪れたけれど、気がついたらカナディアン・ロッキーだった。
カナディアン・ロッキーといわれてもピンとこない人が多いかもしれない。私もそのうちの一人だった。思いつくものといえば夏は観光地、冬はスキー場くらいのもの。それらは全体からみればほんの一部。カナディアン・ロッキーを語るには少々説明が要りそうだ。
カナディアン・ロッキーはカナダの大陸分水嶺を成し、南はアメリカ合衆国国境から、北はユーコン準州境まで、全長約二〇〇〇キロの長大な山脈。最高峰は四〇〇〇メートルに満たないが、高緯度ゆえに気象条件は過酷だ。厳冬季には麓の町でもマイナス四〇度を下まわることもある。観光客やスキーヤーで賑わうのは、一部の山麓および周辺に限られる。山小屋がほとんどないためか入山者は少ない。長期縦走には格好のフィールドであるにもかかわらず、実践する人はきわめて稀だ。
一九八八年、イギリス人のクロス・タウンセッドは、一夏(四カ月)を費やして、南端から北端まで踏破している。歩行距離は二二〇〇キロ。冬季にそれを踏破した記録は未見である。
冬の長期縦走となると、ほとんど処女地にちかいのではと思われるほど、一部踏破の記録ですら少ない。どこでもいいから、冬のカナディアン・ロッキーを一カ月くらい歩いてみれば、「冬季初踏破」あるいはそれにちかい記録となる。雄大なスケールとすばらしい景観にもかかわらず、あまり注目されていないエリアのようだ。
冬のカナディアン・ロッキーは二つの魅力を内包している。一つは、ただそこに居るだけで癒される自然の神秘。人手に荒らされていない原始の香り漂う世界。山脈全体がほぼ本州に匹敵するという雄大なスケール。山小屋もほとんどないカナディアン・ロッキーで人に会うのは稀だ。雪の上に残されたムースやクマのわずかな足跡だけが生き物の気配を感じさせている。静寂につつまれた森のなかから聞こえてくるのは、しんしんと降りしきる雪の音だけ。遙か彼方に連なる山並み。一山越えても、その向こうには雪原が果てしなくつづく。
ひたすら歩きつづけ、ふと周囲の景色に目をやると、訳もなく満たされる気分になることが何度もある。一日の行動を終えパチパチと燃える焚き火にあたりながら紅茶をすする時間がことのほか気分をほぐしてくれる。そうした瞬間に出会うために歩きつづけているのだろうか。星野道夫の世界にどこか似ているかもしれない。
冬のカナディアン・ロッキーのもう一つの魅力は、厳しい自然や自己と向き合い、それらを克服する喜び。カナディアン・ロッキーは奥深い。ひとたび山に入ると何日も何十日も誰にも会わない隔絶された世界だ。
ときとして厳冬の北極圏に匹敵する寒気に見舞われる。テントも寝袋もウエアもすべてが凍りつく。行動食のチョコレートは噛み砕けないときもある。皮膚が焦げ茶色に変色し切断寸前の凍傷を患うのも恒例になってしまった。
カナディアン・ロッキーは内陸にもかかわらず積雪量が多い。一晩でテントがすっぽり埋まる大雪もめずらしくない。スキーを履いても腰まで潜る深雪。いつおさまるとも知れない猛吹雪。地図とコンパスと自分の勘だけが頼り。行けど進めど目的地にたどり着けない不安にさいなまれながらの旅がつづく。これらすべての緊張感、恐怖感、不安感がないまぜになって、熱い興奮がやってくる。
たしかに人里離れた冬山に何十日も一人で入るのは、精神的にも肉体的にもしんどい。テントのなかで何度も同じことを思う。
「今回もまた背伸びした計画を立ててしまったな。町にいれば暖かい部屋で快適にすごせるというのに。どうしてまた来てしまったのだろうか……」
種々のリスクや苦労の見返りが、ほんの一瞬の光景やわずかなくつろぎの時間だとするならば、犠牲にしているものが多すぎると言えなくもない。けれども、平和な街で、積極的に、主体的に生きることもなく、ただ追われるままに流されながら送る人生は私には耐えがたい。「人の可能性は二十歳代で何を成したかによって決まる」という言葉を聞いたことがある。今を生きてこそ、その先の可能性がひろがるということであろう。限りある人生、生きている証を求めて歩きつづけたい。
私はかつてクライマーだった時期がある。周囲から有能と期待されたクライマーの半数以上は二十歳代で死んだ。
「僕は三十歳まで生きているかどうかわからない」と言っていた同じ山岳会の先輩・中嶋正宏は、二十五歳の誕生日の次の日に人生を終えた。一人で出かけた冬山で墜落死亡した。
登山の世界では、真摯に追求すれば、死ぬか壁にぶちあたるか、どちらかであろう。現に私の周りにいた妥協しない人の多くは早死にした。自分はクライミング界で、求道者のごとくには、その限界を極められなかった。妥協して逃げたから生き延びることができた。クライミングでは限界まで努力した結果、諦めたのではなく、怖くなってなんとなく止めてしまった。
イスラエルのテルアビブ空港で二十六人を無差別殺害した後、自らの痕跡を消すために手榴弾で肉片と化した日本赤軍の奥平剛志は、「俺は地獄へ行っても革命をやるんだ」という言葉を最後に残した。私自身は、革命の理念にも、テロリズムの暴力にも、与する者ではない。ただ、その是非はともかく、理想を貫くとはそういうことだろう。多くの人たちは、なにもそこまでしなくてもと言うだろう。だが、何事も失うことなしに前に進むことはできない。山も人生も……。
星野道夫の世界にも、若くして果てたクライマーにも、極左・過激派の兵士にも、私は同様に「ピュアな心」を感じる。そして自分は、死を賭してまで理想を貫く彼らの領域に到達できなかったという思いが、いまだにある。そうした満たされぬ思い、クライミングで超えられなかった壁を穴埋めするかのように、今、独りで冬のカナダに通っている。
*
毎冬出かけているカナダだが、意気揚々と旅からもどってきたことは一度もない。もちろん数十日あるいは数カ月の旅を終え、無事町にたどり着いた日の気分は最高だ。ひさびさに浴びるシャワーに暖かい部屋、そして鳥のさえずり声にすら感激する。何気ない日常に感動するのは厳しい旅のつくりだす恩恵なのだろうか。それでも、町で数日すごすと、心にぽっかり穴があいてしまったような妙な感覚につつまれる。
成功したときには、目標が低いから成功したのではないか、と悔恨の情にも似た思いが残る。失敗すれば自分の弱さを痛感させられる。いずれにしても、旅を終えたあとにやってくるはずの高揚した気分も、達成感も、まるでない。理想の自分はもっと高いところにあるのではないかという思いがつねにある。
ひょっとしたら私は、無意識のうちに成功の余韻をかき消してしまっているのではないだろうか。達成感には甘い罠が潜んでいる。ひとつの自信を手にしたときを境に、以前にも増して上昇する人と堕落してゆく人がいる。自分なりに死にもの狂いで何かに取り組み達成したところで、別の人にとってはいとも簡単にやってのけられてしまった、というのはよくある話だ。ひとつの成功を頂点に堕落してゆく人を、これまで何人もみてきた。
成功の余韻に浸っているうちに、時はどんどん流れてゆく。過去の失敗にとらわれているうちに、次にやってくる機会を逃してしまうという。成功もまた同じだ。次の段階に通じることなしに、成功したと、あるいは達成したとは言えまい。
未来に通じてこそ、過去の実績と呼べるであろう。飲んだ席の自慢話にとどまるサクセス・ストーリーならば、とっとと忘れたい。そんな暇があったら、次なるテーマを模索したほうがましだ。そもそも長い時間をかけて地道に努力をすれば、あるいは心を入れ替えて積極的に動き出しさえすれば誰にでもできてしまうことなど、価値はうすいだろう。
自分にとって最終目標などない。ひとつの目標が終われば必然的に次があらわれる。
私のこれまでの経験では、一生懸命やればやるほど自信をなくした。追求すればするほど壁は高くなった。
旅立ち前には決まって恐怖に怯える。そして迷う。自分がほんとうに求めているのは何なのか。ジレンマに悩まされながら旅がはじまる。そして計画を無事終えると、今度は別の壁にぶつかる。自分は果たして全力を出しきったのだろうか、と。あるいは、自分にはもっと別の選択があったのではなかろうか、とも思う。迷いはいっこうになくならない。
だが、迷いが新たな挑戦の必要性を導いてくれているのだと言える。満たされぬ思いを生かすも、殺すも、自分しだい。
私は生きているかぎり迷いつづけるであろう。動きつづけているかぎり自信をなくしつづけるであろう。もし、これからの人生で迷いが吹っきれ、自信に満ち足りた時に出会ったならば……。そのときはきっと、私のなかの精神が死んだ時であろう……。
『達人の山旅1』(みすず書房、2005年8月刊)に掲載