『フリーソロ』の映画評のようなものを書いた。
文章のさいごのほう、反論がくるかな(笑)
でも現場で何度も見た事実。
自分はプロのライターでもないから必要以上に自分と読者のバランスを考える必要もない。
それにしても、「田中幹也のちくり一言」ってタイトル、、、(笑)(笑)
フリーソロやる人って、すくなくとも自分が知ってるかぎりではみなたしかな技術的な裏付けがあるうえでやっている。
矛盾するようだけど、リスクが高いからこそ可能なかぎりリスクを軽減すべく、あらゆるシミュレーションをする。
もちろん事前の身体的な精神的なトレーニングもする。
もしここでミスってもこう対処すればリカバリーできる。
そういった引き出しを何十通り何百通りともっている。
技術面も精神面も一般大衆にくらべたら格段に高すぎるのはもちろんだが、最大のちがいはシミュレーションの部分じゃないかな。
ただそういった部分はなかなか見えにくいから、はたから見るとぶっ飛んでるの一言でかたづけられてしまったりする。
この映画の主演のアレックス・オノルドもエルキャピタンのフリーソロに挑むにおいてじつに緻密に調べて予習する。
1000メートルちかい岩壁のなかで手の位置や足の位置や身体の動きまで。
マニアックといわれようがそれくらいしないと生きて帰れない。
ここまでの緻密さが、すくなくとも現段階で生存していることに繋がっているのではないだろうか。
話が飛ぶけれど、先鋭クライマーのフリーソロよりも剱岳や槍ヶ岳の鎖場やハシゴとかでパニクっとるヘタレ登山者のほうが、見ていてよほどハラハラドキドキする。
身体が固くて筋力弱いくせに、あり得ないムーブしたりすっから。
事故ってあたりめーじゃん。
オメーらこそ自殺行為だよ。
山行く前から怖い怖い連発するなら、どうして事前にできるかぎりの対策をとらないのだろう。
すみません、この映画の狙いとぜんぜんちがうことばかりだけれど、映画を観終えて最初に思ったことを書きなぐってみた。
伊藤正一写真展「源流の記憶 黒部の山賊と開拓時代」に行ってきたよ。
それにしてもすさまじい歩荷力。
どうみても100キロはありそうだし、バランスはめっちゃ悪そう。
登山道だって今みたいに整備されてないし、装備だって今みたいにしっかりしてない。
今の時代に換算したら果たしてどのくらいのことになるのだろうか。
こういうのをみてしまうと、わたしはザックを担いで山を歩いたことあります、なんて言いづらくなってしまう。
ザックが身体にフィットしませんとか濡れた丸太は滑って歩きにくいなんて言ってられねえぞ。
恐るべし先人たちの足跡。