五十代後半の自分に、体力的な課題に挑戦するのはもはやきびしい。
それよりも「やっぱり来てよかった、、」の回数を、これからはどんどん増やしていきたい。
高校1年の夏、ひとりで剱岳に行った。
計画は八ツ峰、源次郎尾根、そして池ノ谷の剱尾根。
結果は、八ツ峰と源次郎尾根は登った。
いずれもルートをかなりまちがえて落ちるか落ちないかの場面があったけれど。
そのあと気合いの入った台風直撃で、剱尾根は行かなかった。
もしここで落ちたら数百メートル下に叩きつけられて頭なんかもげるだろう。
なんてことは考えもしなかった。
経験も知識もなかったあのころは、頭のなかでイメージする世界がひろくて可能性に満ちていた。
経験も知識もなかったころの自分は強かった。
四十年以上むかしの夏の思い出。
いまの自分のなかで山に登るっていう概念がほとんどないんだろうな。
山はただそこにいるだけで満たされる場所なんだろうな。
ここ10年間で立山の雷鳥沢で合計150泊以上してる。
夏をはさんだ季節でいちばんワクワクして落ち着く場所。
降りてきたばかりだけど、来月も半月くらい滞在したい。
好きなものって費やした時間にあらわれる。
自分にとって登山のピークっておそらく15、16歳だったのではないか。
山があまり怖くなかった。
17歳くらいから経験積むほど山がどんどん怖くなってきた。
ここ三十数年は、怖くて怖くてどこも登れない。
きっと山(チャンス)が逃げるってそういうことなんだろう。
もしかしたら経験積んだら何もできなくなって、さいごはプライドだけになっちゃうのかも。
つぎになにをやるんですか?
そう肯定的に訊かれた時点で、自分にとって意義はうすくなってしまう。
他者がとりわけ中途半端な努力型が、自分の発想や行動になんらかの違和感を抱いた時点で、すくなくとも自分にとってひとつの意義が生まれる。
それにしても型にハマりきった思考しかできない輩があまりにも多すぎるよな。
山に行ったら山頂踏まなきゃいけないとかさぁ(笑)
雷鳥沢でテント張ったら台風やり過ごさなくちゃいけないとかさぁ(笑)