一昨日、高尾山でのマン・ウォッチング。
高価な登山靴やウエアで身をかためた、いわゆるお手本の格好をした人ほど、映画『八甲田山 死の彷徨』みたいに生と死の分岐点をおもわせる歩き方をしていたよ。
ヤンキーが街からそのままやって来ちゃったみたいな人のほうが、元気で楽しそうに歩いていたよ。
えっ、軽装でもし何かあったらどうするのかって?
想定外のときって案外ちゃらちゃら組のほうが強かったりする。
中学生のとき丹沢や南アルプスをひとりで歩いていた。
いまみたいに山の景色の記憶は皆無。
山でいちばんの楽しみは、ほかの登山者から山の話を聞くことだった。
まだ丹沢しか知らなかった自分にとって、どんな山の話も新鮮だった。
山の難度という概念すらなかったあのころ。
山も人も純粋に輝いていた。
・台風直撃や猛吹雪だと行きたくなりますよね。
・サンダルにかぎりますよね。
・承認欲求より自己実現ですよね。
なぜしてくくりたがるんやろ。
幅広い選択肢があっていい。
むかしといまと、いっとることがちがってもいい。
自分の山って誰かにくくられてしまったとたん、色褪せてしまう。
五十代後半の自分に、体力的な課題に挑戦するのはもはやきびしい。
それよりも「やっぱり来てよかった、、」の回数を、これからはどんどん増やしていきたい。
高校1年の夏、ひとりで剱岳に行った。
計画は八ツ峰、源次郎尾根、そして池ノ谷の剱尾根。
結果は、八ツ峰と源次郎尾根は登った。
いずれもルートをかなりまちがえて落ちるか落ちないかの場面があったけれど。
そのあと気合いの入った台風直撃で、剱尾根は行かなかった。
もしここで落ちたら数百メートル下に叩きつけられて頭なんかもげるだろう。
なんてことは考えもしなかった。
経験も知識もなかったあのころは、頭のなかでイメージする世界がひろくて可能性に満ちていた。
経験も知識もなかったころの自分は強かった。
四十年以上むかしの夏の思い出。
いまの自分のなかで山に登るっていう概念がほとんどないんだろうな。
山はただそこにいるだけで満たされる場所なんだろうな。