これまでの人生をふりかえって。
もうすこし粘ったらできたかもしれないってあんまりない。
それより、もっとはやく見切りをつければよかったなっていうほうが多い。
夜の桜を観ながらそんなことをおもった。
世の中、ほんとうにこれがやりたいなんていう人っていくらもいないんだろうな。
ほんとうにやりたいことがある人って、恵まれていなくても実行する。
1987年3月の甲斐駒ヶ岳の南坊主岩東壁。
二十歳になったかまだ十代だったかのころ。
(東大スキー山岳部は、1984年3月にこの壁を登っている。カラコルムの難峰K7の前哨戦として)
いまふり返ってみると、自分は山(壁)とはまったく向き合っていなかった。
山(壁)にいくたびに、自分はほんとうはいったい何がやりたいのだろうと問いかけられていた。
若いころからネガティブに思い悩むのが好きだった(笑)
もともと体力がなかったほうだけど、三十代後半にガタッと落ちた。
そして五十代後半のいまはさらにジェットコースターの降下のように落ちている。
この先はできることがますますかぎられてくる。
だからこそ精神状態が不安定になるほどの焦燥感につつまれても、行けるうちに行ける範囲でも行っておいたほうがいいと思っている。
『八甲田山死の彷徨』についておもう。
ガチガチなくせにいざとなると使い物にならない(判断を誤る)上官のおかげで、無駄死を強いられたといえなくもない。
上官とは現場にはいなかったけれど直属の上司もふくめて。
このはなしは、冬の八甲田山という場所にもかぎらないし軍隊という組織にもかぎらない。そして明治という時代にもかぎらない。
もしかしたらいまもどこかでおなじことが起きているかもしれない。
ここ数年、欲求の器が小さくなってきているのをかんじる。
体力気力の低下ももちろんあるけれど、それよりも若いときからやりたいことはやってきたからだろう。
もし仮に若いときにやりたいことよりも周囲の目を判断基準に何かをやっていたら、承認欲求のために振りまわされていたような気がする。
そしてあえてやりたいことがなければ、それは現状に満たされていることなのだろう。