中学生のとき丹沢や南アルプスをひとりで歩いていた。
いまみたいに山の景色の記憶は皆無。
山でいちばんの楽しみは、ほかの登山者から山の話を聞くことだった。
まだ丹沢しか知らなかった自分にとって、どんな山の話も新鮮だった。
山の難度という概念すらなかったあのころ。
山も人も純粋に輝いていた。
高校1年の夏、ひとりで剱岳に行った。
計画は八ツ峰、源次郎尾根、そして池ノ谷の剱尾根。
結果は、八ツ峰と源次郎尾根は登った。
いずれもルートをかなりまちがえて落ちるか落ちないかの場面があったけれど。
そのあと気合いの入った台風直撃で、剱尾根は行かなかった。
もしここで落ちたら数百メートル下に叩きつけられて頭なんかもげるだろう。
なんてことは考えもしなかった。
経験も知識もなかったあのころは、頭のなかでイメージする世界がひろくて可能性に満ちていた。
経験も知識もなかったころの自分は強かった。
四十年以上むかしの夏の思い出。
ここ10年間で立山の雷鳥沢で合計150泊以上してる。
夏をはさんだ季節でいちばんワクワクして落ち着く場所。
降りてきたばかりだけど、来月も半月くらい滞在したい。
好きなものって費やした時間にあらわれる。
これまでの人生をふりかえって。
もうすこし粘ったらできたかもしれないってあんまりない。
それより、もっとはやく見切りをつければよかったなっていうほうが多い。
夜の桜を観ながらそんなことをおもった。
1987年3月の甲斐駒ヶ岳の南坊主岩東壁。
二十歳になったかまだ十代だったかのころ。
(東大スキー山岳部は、1984年3月にこの壁を登っている。カラコルムの難峰K7の前哨戦として)
いまふり返ってみると、自分は山(壁)とはまったく向き合っていなかった。
山(壁)にいくたびに、自分はほんとうはいったい何がやりたいのだろうと問いかけられていた。
若いころからネガティブに思い悩むのが好きだった(笑)
ツアー登山が中止にならないような状況下において、その山に何十回登ったところで、登山そのものの実力はほとんど問われないだろう。
真の登山の実力って、ツアー登山が中止になるような状況下になって、はじめて問われるのではないだろうか。