「能力の差は小さいが努力の差は大きい」
たしかにそうだけど、しょせんはある程度のところまでだったりする。
ある程度のところまでやってくると、そううまくはいかない。
「能力の差は大きいが努力の差は小さい」
そう話が変わってしまったりする。
そもそも努力するったって人には限界がある。
限界超えれば死んじゃう。
あるいは精神が破綻する。
そんなの一般的でないといっている人は、しょせんそこまでで終わる。
ドライかつシビアな現実の壁にぶち当たっても、受け入れていく人が能力があるってことになるのだろうか。
だからやっぱり能力のある人ってきわめて少ないってことになるのかな(笑)
四十代前半から体力がガタ落ちした。
そういっても具体的に歩く速度が急激に遅くなったとか荷物がまるで担げなくなったとか、リアルに体感できることとはちがった。
毎冬似たような旅や山をやっていながら、四十代前半を境に凍傷やらケガやら故障が格段に増えた。
裏を返せば、体力のガタ落ちが原因に思われる。
いっぽうで四十代前半を境に、自分のやってきた旅や山が変化してきた。
それまではどこどこまで到達するといった地理的な、つまり対外的な意味での場所がゴールだった。
四十代前半からは自身のなかでひとつの節目と感じる地点、つまり内面的な意味で納得のゆく地点がゴールとなった。
どちらが大変かと訊かれても、それぞれちがった意味で大変だ。
どちらが楽しいかと訊かれても、それぞれに味わいがある。
いまふり返ってみるとあえて意識したわけではない。
なんとなくそんなふうに流れていった。
ただひとつ言えるのはやはり四十代前半で体力がガタ落ちした時点で旅や山における価値基準を変換していったからこそ、五十代半ばのいまでも旅や山を継続できているのではないかと思う。
ここ数年やっていることが地理的な意味でいったら毎回敗退どころか惨敗つづきだけれど、自身のなかではなかなか楽しめているし手応えすら感じている。
ただどこへ行きましたかとかどこを登りましたかといった対外的な成果だけに興味を示す人とは、ますます会話が成り立たなくなってきているのはたしかだ(笑)
ヒザ痛や腰痛がいくぶんおさまって、12月に入ってから3週連続で沢登り。
いずれも行程の短い沢だけれど、谷間は電波が入らないしこの時期に遡行者に出会うことはまずない。
ノー・ヘル、ノー・ロープだし、荷物を軽くするために雨具すら持っていかない。
かんたんな滝でも、落ち口とかでズルッていったらもうアウトかな。
冬の谷は日がささないから、あっけなく疲労凍死する。
たぶん遺体すら来年夏くらいまで発見されない。
地理的には人里からそう遠く離れていなくても、ちがった意味で隔絶されとる。
いや、ぎゃくにこのプチ緊張感が手軽に味わえるのがいいんだよな。
きのうはかなり走ったりしたけと、ヒザにも腰にも思いのほかダメージを感じない。
まずまず充実したのはたしかだ。
きょう読んだ本。
『エベレストには登らない』(角幡唯介著)
いまさら説明するまでもないけれどこの著者は早大探検部の出身。
早大探検部といえば、王道より邪道(とまではいかないか(笑))。
登山に例えれば、すでにたくさん情報のある著名な山をノーマル・ルートから天候の良いときに登頂して成功の2文字を勝ち取るような一般大衆のイメージするスタイルこそ邪道だと捉える。
山に登るならば、名前すら聞いたことのないような山を見つけ出して、さらに断食しながら果たしてどこまで行けるのかといった行為を実験的に行うみたいな(あくまで例え)。
成功したかよりも、その行動を通じて自身のなかでどのような変化があったのか。
どんなハプニングに見舞われて、どのように対処してどんな発見があったのか。
あくまでも推測で書いているけれど、あらゆる資料や人伝に聞いた話から察すると早大探検部はおよそそのような価値観に基づいて行動している。
そう捉えてみると、やや挑戦的にも思える本のタイトルにも納得するだろう。
◇
この本は、ビーパルの連載をまとめたもの。
ちょうど真冬のグリーンランド北極圏に取り組んでいる時期に重なり、その背景をネタにした文章が多い。
やはりというか要所要所で著者の冒険に対する年齢的な焦りが感じられる。
この種のいわゆるヘビー級の冒険はある意味で体力勝負。
経験を積んで知識や技術を習得したところで、いつまでもできるものではない。
花の命ほどではないけれど、冒険のピークの期間はそう長くない。
個人差もあろうがかなりおおざっぱに三十代から四十代にかけての数年間。
角幡唯介はいま43歳。
43歳といえば、植村直己、星野道夫、長谷川恒男、河野兵市、そして谷口けいちゃんがいずれも星になった年齢。
裏を返せば焦りがあるからこそ集中力も高まる。
陰があってはじめて光の存在が浮き彫りになるように、死というリスクが大きくなるからこそ生はよりいっそう輝き、行動者にとって最高の冒険行が生み出される。
だいたい闘牛だって失敗したら死ぬからこそ、観衆はあれだけ引き込まれる。
あっ、なんだかシリアスな話になっちゃったかな。
もしかしたらこのところ自分が登山や冒険における生と死の分岐点について考えすぎているだけなのかもしれない。
この本は、真冬のグリーンランド北極圏だけでなく、愛する娘やはじめてのシーカヤックなどさらっと読みやすい雑文集だ。