昨夜、一気に読んだ本。
『太平洋漂流実験』(斉藤実著)
ひさびさに強烈な読後感。
自分が山や旅に出てリスクと対峙することに対して、訊かれてもっとも不快な言葉にどうしてそこまでするのかというのがある。
それでも、、
この著者はゴムボートによる漂流実験で台風に遭遇して生と死の分岐点からギリギリ生還しながらも、どうしてふたたび海に向かうのだろうか。
きっとその人の行動のなかには、それまでの人生のなかで出会った人やできごとを通して生まれた疑問や違和感などすべてが凝縮されている。
「いっそ、わが手で命をちぢめ、苦しみから早く解放された方がいい。私はシーナイフをノドもとにおしあてた」
ツアー登山が中止にならないような状況下において、その山に何十回登ったところで、登山そのものの実力はほとんど問われないだろう。
真の登山の実力って、ツアー登山が中止になるような状況下になって、はじめて問われるのではないだろうか。
ここ数年、何かでっかいことしたいという欲がすっかりなくなってしまった。
気力が萎えているのとはすこしちがう。
自身にとってしっくりくる時間を多く過ごしたいとおもうようになった。
だって見た目こそでっかくって完成しているようでも、中身すかすかだと、どこか悔いものこってしまうから。
ここ数日、1日に何回もチェックしている。
トランス・ジャパン・アルプス・レース。
この速さ、ニンゲンやない!!
毎日何度も感嘆する。
自分にはマネできない。
たいせつなのは自分対対象だけれど。
自身の意識を高めるためにも、選手たちの記録は認識しておきたい。
https://www.tjar.jp/index.html

KODAK Digital Still Camera
山野井泰史の45年間におよぶ膨大な登攀歴ーー小学生で家族と行った夏の尾瀬から、50歳過ぎてのヒマラヤの未踏の岩壁や日本国内の困難な岩壁までーーを、ふり返ってみてかんじたことを綴ってみたよ。
真摯に極限と対峙したら、ドラマこそ満ちていても武勇伝は生まれず、生きているかぎり極限という言葉にはたどり着かないのではないか。
そういまあらためておもった。
掲載は、きょう発売の『山と溪谷』だよ。
https://www.yamakei.co.jp/products/2822901574.html
語りたいことがたくさんあるけれど、心のなかにしまっておきたい思い出もたくさんある。
失敗したから公表したくないのとはちがう。
口うるさいクライマーからいまの登りよかったねっていわれて自身でも会心の登攀だけれど、うまく言葉にできないしいつまでも心のなかにしまっておきたいものもある。
失敗したけれど心のなかでは会心の登攀もある。
語りたい思い出と心のなかにしまっておきたい思い出の境界線は自分でもよくわからない。
かぎりある人生。
これからは心のなかにしまっておきたい思い出をもっと増やしていけたらいいな。
もしかしたら、もっともたいせつなものほど言葉にするとさめちゃったりするのかな、、